風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

岩尾淳子=文(砂子屋書房『一首鑑賞 日々のクオリア』)より抜粋リンク掲載

病苦より逃れんとしてキリストに触れたりし指どこまで伸びる 松村由利子 『光のアラベスク』 砂子屋書房・2019年 (略) 理由のない苦しみには耐えられない。罪と許しとの相関のなかに苦しみを理由づけることで救済が与えられる。作者は、そういう人類の…

山崎行太郎=著『小林秀雄とベルグソン』(電子書籍)、読み終えて・・

山崎行太郎=著『小林秀雄とベルクソン』は次の言葉から始まる。 矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、…

赤星進=著『心の病気と福音(上)』と、「エア聖餐」

赤星進=著『心の病気と福音(上)』に、「自我の業としての宗教心的信仰」と「私たちの中における神の業としての福音的信仰」ということが書かれていて、そこに、「分裂病の場合には、(略)幻想的な信仰になっていく」(p169)と記されている。 この本は、…

「そこには草がたくさん生えていた」(ヨハネによる福音書6:10)

聖書:ヨハネによる福音書 6:1〜14(新共同訳) イエスが病人たちになさったしるしを見た大勢の群衆が、後を追ってきました。 福音書は「山に登り」と表現していますが、おそらくは湖近くの小高い場所で、大勢の人たちが周囲に集まることのできる場所に行か…

『聴く』2020年9月号

2ページ、3ページには教会員による「『放蕩息子』の独り言」を掲載。が、ここでは割愛する。

ここで急に、「死に至るまで・・」(ヨハネの黙示録)とドストエフスキーの日記と『はるかな国の兄弟』

最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。(ヨハネの黙示録2:8,9 新共同訳) 食前に読まれたこのローズンゲンの御言葉を聞いて、聖書を開いて続きを確認した。…

『はるかな国の兄弟』のヨナタンとサウルの息子ヨナタン、そして米津玄師『迷える羊』から

『はるかな国の兄弟』の紹介で、「ここに登場する兄のヨナタン・レヨンイェッタをキリストをイメージして描いていると思う」と書いた。 myrtus77.hatenablog.com よけい 予型 旧約の出来事の中にイエスの出来事を予め示す型のことを言う。たとえば「アダムは…

「エジプトの初子を討った方に感謝せよ」(詩編136:10)

こちらに来てから、教会員の要望もあって、祈り会ではローマの信徒への手紙の初めからをやっていた。それが終わって、詩編の続きへと戻った。 詩編135編、136編には、出エジプトを振り返って「エジプトの初子を討った方に感謝せよ」(詩編136:10 新共同訳)…

『聴く』2020年8月号

〈 本の紹介 〉内田樹=著『レヴィナスと愛の現象学』 引用部分に囲みを入れるのを忘れて印刷してしまった。 印刷してから何かしら不具合が見つかって、完璧に出来たためしがない。 下は、今日の玄関の花。 昨日、開きかけていた2つ目のが、 今朝はしっかり…

ソーニャ(ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ) − ドストエフスキー『罪と罰』35

智恵や叡智を表す「ソフィア(Sofia)」は、ロシア語では「София(Sofiya)」と表記するようである。そのためか、岩波文庫の江川訳『罪と罰』では、ソーニャを「ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ」としている。 お察しのとおり、ソーニャは、教育は…

スヴィドリガイロフがソーニャに説教するというのは − ドストエフスキー『罪と罰』34

あなたにあげるのはあのひとにあげるのと同じことなんです。それにあなたは、リッペヴェフゼリ夫人に借金を払うと約束された、私は聞きましたよ。どうして、ソフィヤ・セミョーノヴナ、あなたはそんなふうに考えもなく、そんな約束だの義務だのを背負いこま…

建築家隈研吾へのインタビュー(『Harvard Business Review』8月号より)

いまこそ、地球のOSを書き換えよ https://t.co/LJVW2mJVd2 @dhbr_japanより 空調の問題に限らず、建物の内側の環境だけをよくすればいいという思考が、あらゆるところに広がっています。(抜粋) — メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2020年7月11日 merome…

2020年7月号の『聴く』

「ドストエフスキーとキリスト教」 今日の花。全部、教会の庭の花。

花が咲いて枯れるというのは・・

花が咲いて 枯れるというのは、 感動が胸に拡がるということだ。 あなたが最も幸せなときには、この書は、何の価もないものかもしれません。けれども、あなたが不幸や病気や、心の傷つけられているときにこの書はあなたのものであります。私は平凡なひとりの…

ちょっとここで、カラマーゾフのイワンのことを・・(加筆あり)

ドストエフスキー作品についてばかり書いているとアクセス数が低迷するようなのだが(笑)、構わず続けようと思う。 「ドストエフスキー『罪と罰』33」で『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフについて書いていて、イワンの台詞が気になった。 「おい、お…

「救い主として敬われたかった男」ルージンと、スメルジャコフ − ドストエフスキー『罪と罰』33

もう何年になるだろう、ずっと以前から、彼は心とろける思いで結婚のことを夢にえがき、それでもこつこつと金をためることに専心して、時節を待っていた。彼は心の奥底に秘めかくすようにしながら、品行がよくて貧乏な(ぜったいに貧乏でなければいけない)…

(暴露主義者?)レベジャートニコフと、ルージン − ドストエフスキー『罪と罰』32

まだ田舎にいるうちからルージンは、かつて後見をしてやったレベジャートニコフが、いまは若手の進歩派のちゃきちゃきとして、よく話題にのぼる現実ばなれした一部のサークルで羽ぶりをきかせている噂を聞きこんでいた。この噂はルージンをおどろかせた。ほ…

重荷となっている人々が錨となってつなぎ止めている − ドストエフスキー『罪と罰』31

「だって、みんながあなたひとりの肩にかかってきたじゃありませんか。なるほど、以前にも、みながあなたにおぶさっていた。(岩波文庫『罪と罰 中』p266) 『ちがう、今日まで彼女を運河から引きとめてきたのは、罪の意識なんだ。それと、あのひとたちだ、…

ポーレチカ、リードチカ、コーリャ − ドストエフスキー『罪と罰』30

ポーレチカ、リードチカ、コーリャというのは、ソーニャにとっての継母カチェリーナの連れ子である。 一番上のポーレチカはマルメラードフの臨終に際して、ソーニャを呼びに行くようにカチェリーナから命じられる。 「ポーリャ!」とカチェリーナが叫んだ。…

ソーニャについてのラスコーリニコフの考察 − ドストエフスキー『罪と罰』29

しかし、それにしても、こうした性格をもち、まがりなりにも教育を受けているソーニャが、けっしてこのままの状態にとどまっていられないだろうことも、彼には明らかだった。やはり彼は、ひとつの疑問をふっきれない ーー なぜ彼女はこんなにも長い間、こう…

「神さまがなかったら、わたしはどうなっていたでしょう?」− ドストエフスキー『罪と罰』28

「求めよ、さらば与えられん」というイエスの言葉は聖書の中でもあまりにも有名な言葉だろうと思うが、これについて記されたルカによる福音書の方では以下のように続いている。 そこで、私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そ…

跪(ひざまず)く − ドストエフスキー『罪と罰』27

・・・・・ふいに彼は、すばやく身をかがめると、床の上につっ伏して、彼女の足に接吻した。ソーニャはぎょっとして、相手が狂人ででもあるかのように、思わず身をひいた。事実、彼は正真正銘の狂人に見えた。 「どうなさったんです。どうしてこんなことを?…

ソーニャ7 − ドストエフスキー『罪と罰』

兄はひとりきりではない。彼女、ソーニャのもとへ、兄は最初に懺悔にやってきた。兄は人間が必要となったとき、彼女のなかに人間を求めた。彼女は、運命のみちびくまま、どこへでも兄の後について行くにちがいない。(岩波文庫『罪と罰 下』p350) やはりこ…

ソーニャ 6 − ドストエフスキー『罪と罰』

「グリム童話『手なし娘』とソーニャ 」で私は、「この『手なし娘』に象徴されているのは、《徹底した無力》であろうと思われる」と書いた。そして、「ソーニャから思い浮かべたのは、この『手なし娘』であった」とも記した。 この《徹底した無力》は、十字…

ソーニャ 5 − ドストエフスキー『罪と罰』

「ぼくは用事を話しにきたんだ」ラスコーリニコフが、突然、顔をしかめて、大声に口をきり、立ちあがって、ソーニャに近づいた。(略) 「ぼくは今日、肉親を捨てたんだよ」と彼は言った。「母親と妹をね。もう、ふたりのところへは行かないんだ。あそこでき…

ソーニャ 4 − ドストエフスキー『罪と罰』

と、人込みのなかから、音もなくおずおずと、ひとりの娘がぬけ出てきた。貧困と、ぼろと、死と絶望に包まれたこの部屋には、彼女の突然の出現は奇異にさえ感ぜられた。彼女の着ているものもぼろにはちがいなかった。いかにも安っぽい身なりにちがいなかった…

コロナの時代の・・

薔薇薫るコロナの時代の物干しに 二階の物干し場から見ると、昨日は気づかなかった白い小花が咲いているように見えた。 庭に行ってみると、ノバラが開きはじめていたのだった。 香り高い。 西側の壁一面に、 様々な 薔薇が 庭の 入口近くまで 植えられている…

聖書に触れて生まれ変わった実在の人物

「「ラザロの復活」とソーニャ」で「野口悠紀雄氏は、パイーシイ神父が朗読する「カナの婚礼」を聞きながら夢を見た後、アリョーシャは新しく生まれ変わった、と言っておられるのだ」と書いてから、聖書を読んで生まれ変わった人がいたなぁ、実際に?誰だっ…

「ラザロの復活」とソーニャ− ドストエフスキー『罪と罰』26

『罪と罰』の中で、ソーニャがラザロの復活を記した聖書個所を朗読する場面があって、それについて書こうと思っていたのだが、最近夫が買ってきた本の中にその場面について言及しているところがあったので最初に引用させて頂こうと思う。 ソーニャは、現実の…

行き場(居場所)がない! - ドストエフスキー『罪と罰』25

ここまでくれば、ラスコーリニコフの意識における「プレストゥプレーニエ」、人間の掟をふみ越える「新しい一歩」とは、たんに高利貸の老婆に対する殺人行為だけを意味したのではなく、より広範な社会的、哲学的意味、マルメラードフの言う「どこへも行き場…