風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは・・」(ペトロの手紙一 4:6 新共同訳)(「陰府降り」から考える)

つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。(マタイによる福音書12:40,41)

 

そこで、

「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と言われています。

「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。(エフェソの信徒への手紙4:8~10)

 

そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。(ペトロの手紙一 3:19,20)

 

この夏、神学生を実習にお迎えするということで、夫の神学書で使えそうなものはないだろうかと、古書店に出すために箱詰めしていた物達を取り出して見ていた。

 

その中の一冊にこんなことが書かれていた。

 

ドナルド・K・マッキム=編『リフォームド神学事典』より

よみくだり 陰府降り

 キリストが十字架につけられた後、陰府にまで降ったこと(マタイ12:40、エペソ4:9、Ⅰペテロ3:19)は、4世紀までに「使徒信条」に現れた。それは旧約時代の信仰者たちの解放と理解され、中世の信仰では生き生きと描写された。プロテスタント宗教改革者は一般に、キリスト以前の聖徒たちは直ちに神の御前に行ったものと信じ、この「父祖たちのいる陰府の辺土」(リンボ)を退けた。しかし、他方で、「降り」の意味については意見の一致を見なかった。ルター派神学は、陰府の力を打ち負かすための陰府降りをはっきり主張した。ルター自身はそう考えなかった。

 改革派神学は、空間的にとらえる陰府降りについて、いくつかの選択肢を示した。フルドリヒ・ツヴィングリとハインリヒ・ブリンガーは、こう考えた。キリストの陰府降りは、キリストの救いのみわざがキリスト以前の義人にまで霊的に拡大されたことを意味する、と。現代の神学者エミール・ブルンナーは、この解釈のうちに、キリストのことを聞くことがなかった者たちのための希望を見いだした。マルティン・ブツァーとテオドール・ベーズは、19世紀のチャールズ・ホッジがこれを受けて言ったように、陰府降りをキリストの死および葬りの同義語と考えた。ところが、ジャン・カルヴァンは、これを心理的な面から解釈した。キリストは十字架の上で、たましいにおいて神の怒り、それこそ「陰府」を経験したのである、と。ピューリタンの多くはこの見解を受け入れ、カール・バルトはこれを現代風に展開した。

 17世紀の言語学者たちは、次のように結論した。降って行った先の「陰府」とは、死の状態と死の力のことである。その下にキリストの人性に属するたましいが復活の時までとどまっていた、と。改革派スコラ主義は、厳密な意味(墓、そして死の力の下にとどまること)を比喩的な意味(神の怒りを受けること)と区別し、ルター派正統主義に反対して、陰府降りで言われているのはキリストの高挙ではなくキリストの謙卑である、と主張した。

 

私は昔から「死んだら地獄に行く」等という言説にはバカバカしいとしか思えないので、カルヴァン「キリストは十字架の上で、たましいにおいて神の怒り、それこそ「陰府」を経験したのである」という見解に甚く納得させられた。しかし・・。

 

myrtus77.hatenablog.comルターは非常に死を恐れた人だったそうだが、死の中に、神の怒りと罪に対する罰を見ていたのだという。そうお聞きして、私は、ルターという人はキリスト教世界の人だったのだ、と思わされた。

私もごく小さい頃から死を恐れていた。祖父の昔の家の中での光景だから、小学生の頃だったと思う。低学年位の頃から家族が寝静まった中、一人眠れないまま「いつか死ぬ」ということを考えていた。「いつかみんな死ぬんだ」「死ぬってどういうことだろう」「私がいなくなってしまうんだ」「今はこんなことを考えていても、こんなことを考えている私もいつかいなくなるんだ」ーそのことが、ひたすら怖ろしかった。

けれど私の中には、「神」というものは思い浮かばなかった。「神の怒り」や「神の罰」としての死への恐怖というものは、尚更。日本でも閻魔様とか、地獄に落ちるというような発想は似たものとしてあるのかもしれないけれど、「閻魔様」などという単語を出されてもピンと来ない。

 

 

この「陰府降り」には、「キリストの陰府降りは、キリストの救いのみわざがキリスト以前の義人にまで霊的に拡大されたことを意味する」と解釈した人達がいたと記されているのだが、「Ⅰペテロ3:19」に記されているのは、キリストが来られる以前の「義人」についてではなく、「神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者」達のことなのだ。

キリストは、「神が忍耐して待っておられたのに従わなかった」「霊たちのところへ行って宣教され」たのだ。

 

夫は、自死した祖父の救いに関連してこの箇所に拘っていた。

 

 

エフェソの信徒への手紙4:8で引用されているのは、詩編68編の御言葉である。

あなたは高い天に上捕らえた者を引いて行き 人々を貢ぎ物として 背く者さえも貢ぎ物として取られる。神である主がそこに住まわれるために。(詩編68:19 聖書協会共同訳)

詩編というのは神の民の言葉(神への祈りや讃美、あるいは敵への呪詛)の集まりで神ご自身の言葉は記されていないというのだが、パウロの書簡だってパウロの神学が元になっているものなので、直接神が語られた言葉ということではないだろう。しかし、パウロ聖霊の力を得て語ったということなので、私たちは、説教と同じく神の言葉として受け取るのである。

この詩編に記されているのも、「背く者さえも貢ぎ物として取られる」ということである。

 

 

ペトロの手紙一については、3章の言葉と共に4章6節の御言葉も重要だと私は考える。

死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。(ペトロの手紙一 4:6)

この前の5節には、

彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。(ペトロの手紙一 4:5)

このように記されている。

 

キリストの言葉からも引用しておこう。

すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。(ヨハネによる福音書5:21,22)

 

はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。(ヨハネによる福音書5:25)

 

このことで驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く。(ヨハネによる福音書5:28 聖書協会共同訳)

 

 

キリストの再臨の時、キリストは再び陰府にまで降ってくださる。

そうして、「捕らえた者を引いて行き」「高い天に上」られる。