2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
だが、ふいに彼は娘に気づいた。さげすまれ、ふみにじられ、けばけばしくめかしたてられ、そんな自分を恥じて、臨終の父に別れを告げる番がまわってくるのをただつつましく待っている娘。底知れない苦悩がありありと彼の顔に現れた。 「ソーニャ! 娘! 赦し…
ドゥーネチカはつづけた。「ふたつの悪のうち、より小さな悪を選びたいの。 (岩波文庫『罪と罰 中』p86) ボンヘッファーも『罪と罰』を読んだのだろうか・・? myrtus77.hatenablog.com
通りの中ほどに、葦毛の駿馬を二頭つないだ粋な作りの旦那用の四輪馬車が止まっていた。だが乗り手はなく、馭者も馭者台から降りて、わきに立っていた。馬はくつわを押さえられていた。まわりは黒山のような人だかりで、いちばん前のほうに警官の姿が見えた…
『罪と罰』のエピローグにこんなことが書いてあった。 彼はもう長いこと病床にあった。だが、彼をくじいたのは、監獄生活の醜悪さでも、労役でも、食物でも、剃られた頭でも、ぼろのような服でもなかった。おお! こうした苦痛や責苦が彼にとって何だったろ…
ラスコーリニコフの罪とは何だったろうか?もちろん二人の老婆を殺したという刑法にふれる犯罪はあったろう。しかしドストエフスキーが「罪」として捉えているのはそれでないのは明らかだ。 それはラスコーリニコフの見た夢に現れている。 以下にラスコーリ…
彼は苦しみながら、しきりとこの問いを自分に発したが、しかし、川のほとりに立ったあのときすでに、彼がおそらくは自分の内部に、自分の信念の中に、深刻な虚偽を予感したはずだということは理解できなかった。彼はまた、この予感こそが、彼の生涯における…
彼女はいつもおずおずと手を差しのべた。ときには、彼にふり払われはすまいかと恐れるように、まったく手を出さないこともあった。彼は、いつもしぶしぶとその手を取り、いつも怒ったように彼女を迎え、ときには彼女が訪ねてきている間、かたくなに口をつぐ…
〈 弱い自分に決意をさせてくれる讃美歌 〉 〇〇〇〇〇 主よ、終りまで仕えまつらん。 みそばはなれずおらせたまえ。 世のたたかいははげしくとも、 みはたのもとにおらせたまえ。 讃美歌338番 (本文は省略する) このところ長老、執事に原稿を依頼して、書…
私は、決意の言葉というようなものをあまり信用しない。 だからドストエフスキーの言葉も、どういう言葉を語っていたとしても、「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である」という言葉以上に信用できるものはないと思っている…
いいかい、ドゥーネチカ、ソーネチカの運命はね、ルージン氏といっしょになるきみの運命とくらべて、ひとつもけがらわしくはないんだぜ。(略)ルージン式の小ぎれいが、ソーネチカの小ぎれいと同じことで、いや、ことによると、もっとみにくい、不潔な、い…