風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『聴く』2022年2月号

〈 聖書を読む 〉ルツ記(補助的に申命記) 教会員の皆様へ 2021年6月27日、長老が読み上げてくださる礼拝説教を聞きながら、私と娘は今、神の民の群である教会によって守られて生きているということを身をもって体験させられているのだ、と思ったのでした。…

私のテーマソングと、自意識と絶望について(過去記事より)

myrtus77.hatenablog.com myrtus77.hatenablog.com myrtus77.hatenablog.com 生きているものは、少なくとも知っている 自分はやがて死ぬ、ということを。(コヘレトの言葉9:5 新共同訳) 以下は、私の人生のテーマソング。 愛の伝説 黄昏の都会は ブルーな湖…

「人が何をするか」、あるいは「したか」ではなく・・

ところで信仰における第一の問題は、「人間が何をするか」ではなくて、「神が私達人間のために何をしてくださったか」、そのことにあるのです。そのように言って良いかと思います。その神が私達のために何をしてくださったかということを知らせるのが、この1…

復活節前第12主日礼拝説教(ルカによる福音書23:1~5)

「ピラトの尋問」 2022年1月23日(日) 復活節前第12主日 聖書箇所:ルカによる福音書 23章1節〜5節 過越の食事の夜、イエスは逮捕され、夜が明けると同時に、最高法院における取り調べが始まりました。 「では、お前は神の子か」という問いに対してイ…

芥川龍之介『トロッコ』(行ったとこから帰るとこ)

夢の中で行ったとこから帰るとこもうすぐさめるさめたら帰る 『月刊日本』2月号の山崎行太郎氏の「江藤淳の『成熟と喪失』を読む」を読んでいて、芥川龍之介の『トロッコ』を思い浮かべた。 芥川龍之介のものは、小学校高学年頃に、『羅生門』や『杜子春』、…

総会の準備

ちょっと用事があって会堂の二階に上がってふと受付を見ると、次の日曜の総会選挙で鉛筆を使うというので、 うちの執事さん達はこんな準備までしていた。 コロナの時代の総会。 追記、これは総会選挙のためのものでは、なかった! myrtus77.hatenablog.com

王ソロモンの執り成しの祈り

娘と聖書通読をしながら、「ダビデは女々しい奴だ」とか、言いたい放題言っている。 更に、あなたの民イスラエルに属さない異国人が、御名を慕い、遠い国から来て、――それは彼らが大いなる御名と力強い御手と伸ばされた御腕のことを耳にするからです――この神…

「最高法院の裁判」(ルカによる福音書22:63〜71)

「最高法院の裁判」 2022年1月16日(日) 降誕節後第4主日礼拝 聖書箇所:ルカによる福音書22:63〜71(2018年2月4日説教原稿代読) イエスは逮捕され、大祭司の邸宅に連れて行かれました。そこで夜明けまで、イエスは監視されたままで置かれます。 66節に…

永山則夫とボンヘッファーと夏目漱石

永山則夫は獄中結婚した妻や支援者に支えられて生きようとしたと思うが、死刑判決が確定した後は、この人たちから離れたと思われる。人の愛は生きようとさせることは出来るが死へと向かわせることは出来ないのだ、と私は思う。 しかし神の愛は、絶望からでは…

過去に試みた未完の短歌擬き「永山則夫と・・・」

ひとたびは交はりし孤独な魂(たま)よ 女は生へ男は死へ 出ださるる愛を取りなば死に切れず捨てて男は絞首台へと 死へ向(ゆ)くは独りの作業、務めにて 永山則夫、絞首台へ 背を向けて死へと向ひしたましひを女は抱きて今を生きゐる 「秋山駿」と「石」と「ノー…

「愛することにも 愛されることにも・・」

myrtus77.hatenablog.com載せた私自身も忘れているような、こんな過去記事を見に来られた方がいた。 「愛することにも 愛されることにも それなりのいたみや悲しみがともなうものだ」なんて、まるでこの前の「ペテロの否認」の説教のようだな、と思った。 罪…

「ペトロの否認」(ルカによる福音書22:54〜62)

「ペトロの否認」 2022年1月9日(日) 降誕節後第3主日礼拝 聖書箇所:ルカによる福音書22:54〜62(2018年1月21日説教原稿代読) 過越の食事が行われた日の夜中、イエスは祭司長、神殿守衛長、長老たちの手の者によって捕らえられました。そして大祭司の家…

耳が良くない!

この数年、耳の具合が良くない。 meromeropy77.hatenablog.com 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマの信徒への手紙10:17) 声が取り上げられ、その上、聞くことも出来なくなったらどうなるだろう?…

日々雑感(教会のこと、牧師のこと)

「牧師先生はお戻りですか?」と、夫が倒れてから度々電話がかかってきた。牧師が退院してきたら礼拝に出るというのである。この方はうちの教会員ではない。 私が、「○○さんですね」と言うと、「名前なんてどうでもええやない!}と偉そうな返事が返ってきた…

新年礼拝説教と夫への手紙

「来て、見なさい」 2022年1月2日(日) 降誕節後第2主日礼拝 【新年礼拝】 聖書箇所:ヨハネ福音書1章35節〜51節 きょうの箇所では、イエスと弟子たちとの出会いが記されています。 (略) きょうの箇所のテーマは、イエス・キリストに出会うこと、そ…

『聴く』(2022年1月号)

(詩編149:1〜4からの説教より抜粋)