「十二使徒の選任」
2026年8月9日 聖霊降臨後第11主日
聖書箇所:出エジプト記 19章 1節~ 6節
マルコによる福音書 3章13節~19節
大人の礼拝は「十二使徒の選任」と題してお話しします。
先週はガリラヤ湖畔に押し寄せた群衆から逃れるために主イエスが弟子たちに一艘の舟を用意させ、その舟に乗って少し沖に出た湖上から話されたことをお話ししました。主は決して使徒たちをそれらの押し寄せた群衆の中からはお選びになりませんでした。それは主が人間中心でなく御自分中心で使徒を選ぶ必要をお感じになったからでした。そこで、主は祈りの場と神との出会いの場である山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らは側に集まって来ました。どこの山とは特定されていません。あるいは後にご正体を現されるタボル山かも知れません。主がそこで、十二人を任命し、使徒と名付けられました。彼らを自分の側に置くため、また派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能(これは病を癒やす力と考えられました)を持たせるためでした。こうして十二使徒を任命されました。十二というのはイスラエル十二部族のことで、新しい十二部族、新しいイスラエルという意味がありました。
この記事の下敷きになっていると考えられる記事は旧約聖書出エジプト記第19章1~9節です。そこには、
「イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの
荒れ野に到着した。彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に
着き、荒れ野に天幕を張った。イスラエルは、そこで、山に向かって宿
営した。モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて
言われた。
『ヤコブの家にこのように語り、
イスラエルの人々に告げなさい。」
というふうに言われています。新約聖書ではここが、主イエスがこれと思う人々を呼び寄せて、そして使徒に任命するということになっています。
「あなたたちは見た
わたしがエジプト人にしたこと
また、あなたたちを鷲の翼に乗せて
わたしのもとに連れてきたことを。」
エジプト人にしたことは、わかるようにファラオを葦の海の底に沈めたりなさいました。けれども「鷲の翼に乗せて」というのは、これはものの例えでして、なんとか砂漠をシナイ山のところまで安全に行かせて連れてきたという意味です。
「今、もしわたしの声に聞き従い
わたしの契約を守るならば
あなたたちはすべての民の間にあって
わたしの宝となる。
世界はすべてわたしのものである。
あなたたちは、わたしにとって
祭司の王国、聖なる国民となる。
これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。』」
その後、モーセはシナイ山を降りて、民の長老たちを呼び集め、主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語りました。民は皆、一斉に答えて、「わたしたちは、主が語られたことをすべて行います」と言いました。それから、三日目の朝、モーセは民を率いて山の麓に来て雷鳴を聞かせました。それから、モーセとアロンだけが山頂に行き、というのはその雷鳴で人々は恐れてしまったからでした。「十戒」を初めとする律法を授かりました。
もし、律法授与に対する並行記事を新約聖書で探すなら、マタイによる福音書第5章から第7章にかけての「山上の説教」が新しい律法に当たるでしょう。これまで律法を授かってきたけれども、これからは福音を授けるというイエス様の意図がここにあります。
さて、マルコによる福音書では、十二使徒の任命だけが記されています。シモンにはペトロという名を付けられました。これは使徒たちの中心人物とするためでした。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられました。彼らの宣教姿勢を示すものと言われますが、声も大きいし、感情の起伏も大きかったのでしょう。また、シモン・ペトロの兄弟のアンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに主を裏切ったイスカリオテのユダが選ばれました。
ゼベダイの子ヤコブはスペインまで福音宣教に行って、そこで獲得した弟子をエルサレムに連れ帰ったことが知られています。使徒言行録第12章2節によれば、彼はその後にエルサレムでヘロデ・アグリッパ王によって首を切られて十二使徒たちの内で最初に殉教しました。ここから先は言い伝えですが、迫害下に彼の亡骸はそのスペイン出身の弟子たちによって海路、ひそかにスペイン西海岸まで運ばれ、彼の遺体を安置したサンティアゴ・デ・コンポステラ教会までの数百キロに及ぶ巡礼路は今なお多くの人々から愛されています。ヨハネは小アジア各地で宣教した結果、エーゲ海に浮かぶ小島パトモス島に流刑にされましたが、後に赦されて小アジアに帰って来て長生きしました。フィリポは共観福音書には名前しか出ていませんが。ヨハネによる福音書第1章35節以下によれば、ベトサイダ出身で、主に召された最初の弟子たちの一人で、ナタナエルを主のもとに導いた人物です。小アジアのヒエラオリスで殉教したと伝わっています。バルトロマイもいつもフィリポの次に名前が出て来ることから、ナタナエルの別名ではないかと言われています。教会史家のエウゼビオスやヒエロニムスによれば、彼はインドまで行って福音宣教をしたと言われています。インドと言えばトマスもインドで殉教したと伝わり、彼を記念して建てられた教会がカルカッタにあるそうです。徴税人出身のマタイはエチオピアに行って宣教したと伝わっています。熱心党というのはテロリスト集団でしたが、彼はペルシャに宣教に行って殉教したと伝わっています。また、タダイはシリアに行って殉教したと伝わっています。
わたしたちは彼らについて多くを知りません。それは何故かというと、彼らの多くは世界中に出て行って福音宣教をした結果、現地人の迫害に遭って早い時期に殉教したからです。まさに遣わされた者たちだったのです。最後のイスカリオテのユダはカリオテ出身者とも匕首をいつも懐に忍ばせていた人とも言われていますが、十二人の一人として主イエスから信頼されていたにもかかわらず、主を裏切って大祭司たちに引き渡した人物として知られています。
先週のNHKテレビの大河ドラマ「豊臣兄弟」では、羽柴秀吉が山崎の合戦で破った明智光秀を捕らえて極秘の内に面談するという今までになかったシーンを入れていました。それは何故、主君の織田信長を裏切ったのかを光秀本人に語らせるためでした。光秀は「わたしにとっての上様は足利義昭様以外にはありえないからだ」と答えたところで終わっていました。イスカリオテのユダにも「なぜあなたは主イエスを裏切ったのですか」と聞いてみたいと思うのはわたし一人だけでしょうか。
もっとも1970年にエジプトの古代の墓地で発見され、一旦盗難に遭って見失なわれ、2000年に再発見されて2005年頃に解読されて話題になった「ユダによる福音書」は紀元2世紀にパピルスに書かれ、教父エレナイオスによって異端とされたグノーシス文書の写本です。そこには、主イエス御自身がイスカリオテのユダと十字架にお掛になる三日前に面談して、「あなたに使命を授ける。わたしを大祭司たちに売りなさい。そうすればわたしは十字架に付けられて父なる神が望まれたとおりに全人類の罪を贖うことができる。あなたはわたしのことを最もよく理解している弟子だからだ。しかしあなたは呪われる。」と書いてあるのですが、聖書全体から照らしておかしいと思います。
わたしたちの教会は新しいイスラエル十二部族の信仰上の末裔です。一人一人がキリスト者としての使命を与えられています。ある人には福音宣教の、ある人にはキリスト教主義学校教育の、ある人には医療の、ある人には福祉の、またある人には家庭の中での子育てや教育の、それぞれが担うべき役割があると思います。使命は一つずつではなく、様々な役割を兼ねている方が多いのではないかと思います。
皆が等しく持っているのは主イエスをわたしたちの救い主キリストと証言する務めです。役割が与えられた人にはそれを成し遂げる能力が恵みとして与えられるとわたしは信じています。一生で何も成し遂げられなかったと思っておられる方も主イエスをわたしの救い主と告白して洗礼をお受けになっただけで福音を証しした人として主からねぎらいと共に永遠の命を受けるでしょう。
わたしたちは地の塩、世の光として歩んでいくことができるよう祈りたいと思います。
お祈りいたします。
わたしたちの救い主にして教会の首、主イエス・キリストの父なる神様、御名を賛美します。
今日は「十二使徒の選任」をマルコによる福音書から聞くことができましたことを心から感謝します。
わたしたちは信仰上の彼らの末裔です。先々週に起こった熊本での大地震はいまなお水道が使用不可能となっているために、被災者たちが猛暑の中、大変な労苦をしておられることを日々の報道で知らされています。どうか、余震が一日も早く治まりますように、また水道、またそのほかのライフラインが復旧しますように導いてください。
とりわけ、彼の地で福音宣教に励んでいる諸教会をお守りください。そのためにわたしたちを協力させてください。
また、今日は81回目の長崎への原爆投下記念日です。核なき平和を実現することができますようお導きください。
これらの感謝と願いとを主イエス・キリストの御名によってお献げします。
アーメン。
流木のように見えるのは、百日紅の下に落ちていた百日紅の木の皮らしい。