風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「私が神にはっきり知られているように、はっきり知ることになります」(コリントの信徒への手紙一13:12 聖書協会共同訳)− ドストエフスキー『罪と罰』21

ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(創世記32:31 新共同訳) ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは…

「顔と顔とを合わせて見る」(コリントの信徒への手紙一13:12)- ドストエフスキー『罪と罰』20

彼はちらりとすばやく彼女を見やると、ひとことも言わず、目を伏せて地面を見つめた、彼らはふたりだけで、だれも見ているものがなかった。看守もそのときは後ろを向いていた。 どうしてそうなったのか、彼は自分でも知らなかった。ただ、ふいに何かが彼をつ…

レヴィナス(貫成人=著『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』より)ー ドストエフスキー『罪と罰』

終活で本を片付けていかなければと言いながらまたこんな本を買ってきて、と思いながら、夫の買ってきた文庫本をちらちら捲っていた。すると、「レヴィナス」が目に入った。 以下に一頁にまとめられた「レヴィナス すべてを絶対的他者に与えること」を全文引…

「苦しみを受け、その苦しみによって自分をあがなう、それが必要なのです」 - ドストエフスキー『罪と罰』19

「苦しみを受け、その苦しみによって自分をあがなう、それが必要なのです」(岩波文庫『罪と罰 下』p136) これはラスコーリニコフに向かってソーニャが語る言葉である。 「「あなたが汚した大地に接吻なさい」 − ドストエフスキー『罪と罰』13 」でも書いた…

2020年1月号の『聴く』

2ページ、3ページには、見開きで教会員の讃美歌紹介を載せた。 この部分、略。

ドゥーニャと、「愛のおのずから起るときまでは」(雅歌) - ドストエフスキー『罪と罰』18

「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように」― この言葉は雅歌の中で繰り返し語られる言葉である。 若い頃は、しつこく繰り返されているように思えたのだが、検索をかけてみると、2章7節、3章5節、8章4節の3箇所…

「あなたに必要なのは空気なんです、空気、空気なんです!」 - ドストエフスキー『罪と罰』17

あなたは、第一に、もうとうに空気を入れかえなくちゃならなかったんです。まあ、苦しみもいいものですよ。苦しまれることですな。ミコライが苦しみを望んでいるのも、正しいことかもしれません。そりゃ、信じられないのはわかりますがね、妙に理屈をこねな…

ミコライとラスコーリニコフ - ドストエフスキー『罪と罰』16

ところでミコライのほうは、あれがどういう筋書きだったのか、お知りになりたいでしょうな、といっても、私の理解したかぎりということになりますがね。(略)彼は分離派教徒なんですよ。いや分離派というより、たんなる宗派なんですな。彼の一族にベグーン…

「神がいるなら、どうしてこんな悲惨な事が起きるのか!」 - ドストエフスキー『罪と罰』

マタイによる福音書2章13節から23節からの説教(抜粋) このような悲惨な出来事に直面致しますとわたしたちは神の存在を疑いたくなります。なぜわたしたちを愛し、救おうとしておられる神がいるのにこのような事が起こるのだろうか。わたしたちは自問自答し…

「彼はナザレの人と呼ばれる」(マタイ2:23)− 降誕節後第一主日礼拝説教より抜粋

マタイによる福音書2章13節から23節からの説教(抜粋) 神はヘロデの死後、ヨセフをガリラヤのナザレヘと導かれました。父ヘロデ同様残虐な王アルケラオがユダヤを治めていたからです。 このガリラヤという所は、イスラエルの北のはずれの地方で、神の民より…