風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

鼓室の奥に充つるsei-on

● 取るの字は耳を取るの意 月光のしじまの中に耳取られたり 伊藤一彦 耳は目のように自ら閉じることのできない器官である。現代社会では、さまざまな喧騒が否応なしに耳に飛び込んでくるから、「耳取られたり」というような静けさは、なかなか得られない。(…

花のない葉と葉のない花と

window.twttr = (function(d, s, id) { var js, fjs = d.getElementsByTagName(s)[0], t = window.twttr || {}; if (d.getElementById(id)) return t; js = d.createElement(s); js.id = id; js.src = "https://platform.twitter.com/widgets.js"; fjs.paren…

庭ー「秘密の花園」

鶏小屋をぬけて秘密の花園へ鶏頭導く遠き花園遠き日の記憶の隅の花園にひとり遊べる吾を見つけぬ消え果てし園に生ふるは葡萄の木芍薬百合薔薇白き山茶花 祖父の家の鶏小屋の脇の庭には色々な木々が植わっていた。今から思えば二軒長屋の建つ一角、土地全体か…

ストップ!国民投票

● 高レベル搬入 抗議行動はひとり 「今日は青森で安保法案の集会があるし、こっちにくる余裕はないと思うよ」「みんな関心はあるけどほかに気をまわすゆとりがないのさ」。 ゆとりがないのだろうか。むつ小川原港に隣接する鷹架沼の河口は引き潮で、何人もが…

水撒けば

● 広大な工場跡地が囲われて鳥や蛙や虫の音聞こゆ 川添英一 原野に戻ったからこそ鳥や蛙や虫の声が聞こえるようになった。かつては多くの従業員たちが働き、賑わっていた工場はなく、今は方形の原野が横たわっているだけになった。作者はそれを無惨な姿とし…

「憲法には愛がある」かどうかは私にも分からないけれど・・?

● 草の実も木の実も浄き糧ならず鳥よ瞋りて空に交差せよ 柏崎驍二『北窓集』 ※「瞋」にルビ「いか」。 この歌集は、あの震災以後に出された詩歌の本のなかで…、もっとも信頼できるもののうちの一つであると私は思う。…。 東日本の震災の経験によって問われた…

虹とあひたりー小中英之歌集『翼鏡』

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花のさく駅 小中英之『翼鏡』 「虹」というと俳句では夏の季語となるようだが、この歌の虹は、「一分の間にみたざる」という言葉があるために「秋…

ある朝の景

やまももゆ鳴きごゑ聞こゆ近づけばつくつくぼふし青き背を持つ 咲き残る小待宵草ふたつみつ昨夜開いた八つのうちの [ ● 臨時更新 0917安保法案に反対する国会前抗議:戦争は文化じゃない!(笑) ボクは行けなかった昨日16日の国会前には4万5000人?も集まっ…

あさがほに尻尾生え出て龍のごと

あさがほに尻尾生え出て龍の如 国会前では連日安保法制への抗議行動が続いている あさがほに尻尾生え出て龍のごと振り向きざまに我を睨まふいちにちの一日だけの命なる花を手折れる我が手の非情 淡黄のめうがの花をひぐれ摘むねがはくは神の指にありたき 葛…

反原発デモが日本を変えるー柄谷行人

以下の記事を読むと、柄谷氏が自然エネルギー推進の問題点を見通しておられることが分かる。しかも、早い段階で見通しておられるということに、驚く。柄谷氏のことは山崎氏のブログで知ったのだが・・。 以下、抜粋引用。反原発デモが日本を変えるー柄谷行人…

芳賀言太郎のエッセイ 特別編 〜イスラエルの旅 聖地とイエス・キリストの足跡を訪ねて〜

● “クレモナの大聖堂はイタリアの知られざる宝のひとつだ。フイレンツエやローマやヴエネツイアにあるもつと有名な聖堂より小さく、派手さでは劣るものの、わたしの目から見ると、そうした大きな教会は本来の目的を失い、普通の人々との触れ合いもなくしてし…

生きていくための適地

● 黒い粉と体調不良の関係● 原発を再稼動する理由 上にリンクしたサイトの記事を読んでいると、やはり安全保障というものが根底にあって、これによって動かされていると思わされる。 安保法案反対運動が広まっているが、根本的なところでこの運動は必要なも…

花芙蓉ー落ちざる庭

● 第917回 時を経ても変わらないものの本質 たへなる夕明かり満つ ふとしも花芙蓉落つ またひとつ落つ この短歌擬きは、葛原妙子の次の二つの歌へのオマージュとして生まれた。明るき昼のしじまにたれもゐず ふとしも玻璃の壺流涕す『葡萄木立』 手品師 いで…

長老制の教会について池谷裕二=著『脳には妙なクセがある』から考える

キリスト教の教会を制度的な側面から見ると、「監督制」と「会衆制」と「長老制」の大きく三つに分かれる、という。私は制度的なことには昔から興味も関心もなかったのだが、池谷裕二先生の本の、下に引用した部分を読んで、長老制というのも結構いいんじゃ…