2020-01-01から1年間の記事一覧
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合わさりき 『葡萄木立』 池の辺(へ)にコンクリートの濡れをりき黒き魚跳ねいで黒き魚死にける をさなごが魚呼ぶこゑす、キリストが魚よ、と呼びし哀泣のこゑ 『朱霊』 1:1には「神の子」という言葉が最初に…
生きるとは苦しむことです「受肉」とはそういうことです 御子生まる この短歌擬きは短歌を作り始めた10年ほど前に作ったものだ。 こんなのは笑われるばかりで短歌とは認められないだろうと思っていたのだが、ドストエフスキーの『罪と罰』などを読む中で、私…
外壁塗装で古くなった波板を新しいのに変えて頂いた。 キッチンの所だけは透明の波板に。 椎茸が干せそう・・。 新しく買ってきたのと比べると結構干せてる気がする、椎茸。 pic.twitter.com/trjPX347dm — メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2020年12月28日 …
この前の待降節第3主日礼拝説教は胸に迫った。 その都度新しく聞き取ったものが組み込まれているようだが、待降節の説教なので、基本的に私自身はこれまでに何度も聞いてきた説教だったのだが・・。 聖書:創世記 22:1〜14(新共同訳) 1節に「神はアブラ…
江川卓=訳、ドストエフスキー=作『罪と罰』(岩波文庫)について 自分の不幸に囚われている者は、周りの人間は皆自分より幸せに生きていると思い込んでいる。 自分の苦しみにばかり捕らわれている者は、肉体を持ってこの世に来られた神の子キリストの苦し…
『カナリヤ』のMVがユーチューブに上がってきたようだ。やっぱり本人が歌ってるのが一番いいよね。でも、映像はちょっと気に入らないところがあるのでリンクしないことにする。 米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』より「カナリヤ」 この歌の歌詞の中で最も注目…
11月は逝去者記念の月として、今年亡くなられた方の葬儀の辞を掲載した。 この方はご自分で葬儀のための聖書箇所を選んでおられた。 主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、…
病苦より逃れんとしてキリストに触れたりし指どこまで伸びる 松村由利子 『光のアラベスク』 砂子屋書房・2019年 (略) 理由のない苦しみには耐えられない。罪と許しとの相関のなかに苦しみを理由づけることで救済が与えられる。作者は、そういう人類の…
山崎行太郎=著『小林秀雄とベルクソン』は次の言葉から始まる。 矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、…
赤星進=著『心の病気と福音(上)』に、「自我の業としての宗教心的信仰」と「私たちの中における神の業としての福音的信仰」ということが書かれていて、そこに、「分裂病の場合には、(略)幻想的な信仰になっていく」(p169)と記されている。 この本は、…
先週の日曜日に教会員の方が持ってこられたナデシコがまだ咲き残っていたので、水曜日に桜の蘖と一緒に入れ直した。 ナデシコを、 桜のひこばえが、 支えるようにして、入れてみた。 手前の赤いのが開ききっていたら、正面から見ても素敵だっただろうに、残…
ローマの信徒への手紙 12:9~10(新共同訳)からの説教抜粋 9節「愛には偽りがあってはなりません。」 実は、原文は「愛」という単語と「偽善ではない」という一つの単語との二つの単語だけで、動詞はありません。ですから元の文章には「あってはならない」…
先週の彼岸花を整えて、庭に咲き残った一輪を加えて、 そこに、丸葉縷紅草を加えて・・。 これが、 明日の朝、 どうなっているか? あなたは終わりまで自分の道を行け。そして、憩いに入れ。あなたは終わりの日に、あなたの受ける分を得て立つであろう。(ダ…
長老が昨年植えられた朝顔のこぼれ種が落ちたのか、朝顔が咲き始めて、秋だなぁ、と思う。 日曜日の礼拝後、執事さん達が庭の手入れをして、フェンスを突き抜けてお隣に枝を伸ばしたバラも切って下さった。それで、隣から出てフェンスから垂れ下がっていた早…
聖書:ヨハネによる福音書 6:1〜14(新共同訳) イエスが病人たちになさったしるしを見た大勢の群衆が、後を追ってきました。 福音書は「山に登り」と表現していますが、おそらくは湖近くの小高い場所で、大勢の人たちが周囲に集まることのできる場所に行か…
ヨハネによる福音書1章14節には「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と語られている。 この「言」とは「ロゴス」のことである。「ロゴス」とは「論理」である。 ここに先立って11節には、「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」…
2ページ、3ページには教会員による「『放蕩息子』の独り言」を掲載。が、ここでは割愛する。
最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。(ヨハネの黙示録2:8,9 新共同訳) 食前に読まれたこのローズンゲンの御言葉を聞いて、聖書を開いて続きを確認した。…
『はるかな国の兄弟』の紹介で、「ここに登場する兄のヨナタン・レヨンイェッタをキリストをイメージして描いていると思う」と書いた。 myrtus77.hatenablog.com よけい 予型 旧約の出来事の中にイエスの出来事を予め示す型のことを言う。たとえば「アダムは…
昨年作った着物スカートに、友から貰ったペンダントが、「とても似合ってるね」と娘が言ってくれたので、写真に撮ってみた。 ペンダント、見えないかなぁ? myrtus77.hatenablog.com
天の川に列車走らせどこまでも君を乗せゆく青き天鵞絨 ふり向かば黒くびろうど広ごるを恐れゐて我、列車走らす 「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねぇ」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカ…
昔から向日葵が好きだ。 枯れても、部屋の隅にひまわりがあるのは・・。 米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』、そして「ひまわり」。 あさがおがひまわりに絡もうとする 植物園のひまわり。
無口なる叔父の優しさ晩夏光 手負ひたる猫を濡らして夏の雨 晩夏落日 風に吹かれて泣く人よ 黄昏れて夏の終わりの雨が降る 君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ その日から何もかも 変わり果てた気がした 風に飛ばされそうな 深い春の隅で 退屈なくらいに何気な…
ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結び付き、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。その日、サウルはダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着てい…
米津玄師の『優しい人』は、言わばドストエフスキーの「日記」のようなものなのだと思う。作者の核がこういったものに表れている。そこから『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、あるいは『カムパネルラ』や『感電』のような作品が生み出されるのだ。 優しく…
この春頃までは、「米津玄師」という名前を知らなかった。 昨年の夏、娘がよく『海の幽霊』を歌っていて、今年梅雨前に夏のように暑い日が続いた時、思わずその歌が口をついて出た。「開け放たれたこの部屋には誰もいない 潮風の匂い滲みついた椅子がひとつ…
聖書:詩編 137:1〜9(新共同訳) 詩人はバビロンの流れのほとりに座り、涙を流します。 彼は、バビロン捕囚によりエルサレムからバビロンに連れてこられました。 彼の故国 南ユダは、新バビロニアによって滅ぼされました。その際、バビロニアの王ネブカド…
こちらに来てから、教会員の要望もあって、祈り会ではローマの信徒への手紙の初めからをやっていた。それが終わって、詩編の続きへと戻った。 詩編135編、136編には、出エジプトを振り返って「エジプトの初子を討った方に感謝せよ」(詩編136:10 新共同訳)…
今、大森靖子という人の「シンガーソングライター」という歌に嵌まっているのだが、この中に「前髪長すぎ予言者」という歌詞があって、これってもしや米津さんのことかな?と思ったりして・・? それにしてもこの、大森靖子という人も、奇才?鬼才?だわ〜。…
〈 本の紹介 〉内田樹=著『レヴィナスと愛の現象学』 引用部分に囲みを入れるのを忘れて印刷してしまった。 印刷してから何かしら不具合が見つかって、完璧に出来たためしがない。 下は、今日の玄関の花。 昨日、開きかけていた2つ目のが、 今朝はしっかり…