風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

聖書の人々の物語が今に生きる私たちを支える

この前の待降節第3主日礼拝説教は胸に迫った。

その都度新しく聞き取ったものが組み込まれているようだが、待降節の説教なので、基本的に私自身はこれまでに何度も聞いてきた説教だったのだが・・。

聖書:創世記 22:1〜14(新共同訳)

 1節に「神はアブラハムを試された」とあります。一体何を試そうというのでしょうか。もう十分アブラハムの信仰は分かっているではありませんか。ここまで神の言葉を信じて従ってきたのですから。

 

(略)

 

 神が試されるとき、よく分からないから試してみるのではありません。神はアブラハムを知っておられます。これまでの歩み・信仰を知っておられます。神の試みは、信仰を前進させるための試みです。けれど、神はこれ以上アブラハムの信仰をどう前進させようというのでしょうか。神の命令通りにすれば、アブラハムは子孫を失い、未来をなくしてしまいます。しかし、神はこれまで以上に未来はアブラハムの期待や予想の中にあるのではなく、神の御手の中にあるということを信じることを求めておられます。

 

(略)

 

 アブラハムが「神が備えてくださる」とイサクに答えたとき、未来が見出し得ないような状況の中にあっても、神の約束の中に生きる道が開かれてくる、それは自分が生きる道というだけでなく、イサクにとっても生きる道が開かれてくることを信じていました。

 

(略)

 

 わたしの一番の疑問は、イサクがこの後も信仰を持って生きたということです。(略)しかしイサクは信仰を捨てませんでした。アブラハムの信仰を受け継いで歩みます。

 

(略)

 

アブラハムもイサクもヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)を証しするために選ばれ、召され、用いられたのです。そしてわたしたちの生涯にも、主は備えていてくださるのです。

 

(略)

 

父なる神さま
 この出来事を通して、あなたがわたしたちの生涯にも備えをしていてくださることを知ることができますように。あなたが命の主であられ、あなたの許にこそわたしたちの命があることを知ることができますように。罪の世にあって、わたしたちは絶えず不安に襲われます。どうか救いの御業を推し進めてください。あなたが愛しておられるすべての人がイエス キリストに出会うことができますように。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン

 

https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2020/12/13/192027

 

アブラハムが信じていたかどうかは知らないが、「イサクにとっても生きる道が開かれてくる」というのは、大きな慰めの言葉であった。そして、イサクも信仰を持って生きたということが・・。

 

あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。(エレミヤ書31:17)

 

 

「証しするために選ばれ、召され、用いられる」ということがある。過酷な務めに。

 

「認められたい」と駄々っ子のように願うのは自由だ。しかし、「用いられたい」等とゆめ願わぬ方が良い。

私など、用いて頂かなくても構いませんので静かに暮らさせて下さいといつも願っている。しかし・・、

 

過酷な務めに用いられ、試練のただ中に身を置く時、聖書の人々のこういった物語が私たちを支えてくれる。