ひとたびは交はりし孤独な魂(たま)よ 女は生へ男は死へ
出ださるる愛を取りなば死に切れず捨てて男は絞首台へと
死へ向(ゆ)くは独りの作業、務めにて 永山則夫、絞首台へ
背を向けて死へと向ひしたましひを女は抱きて今を生きゐる
「秋山駿」と「石」と「ノート」25
— 山崎行太郎bot (@Tetutarou0610) 2022年1月12日
《書く、というこの人間の原型的行為は、その底で、自殺や殺人に連続している。永山則夫の犯行がそこに一つの照明を与えている。つまり私は、書くという行為の、殺人にも匹敵する不気味さ、根の深さ、人間的な恐ろしさを、いつかあきらかにしたいのだ。
確かに、こうして書く(短歌擬きを作る)ことによって、私は人(永山則夫)を殺しているのかも知れない、と思う。
書くという行為は、内にあるものを吐き出さずにはおれない私の、犯罪(自殺行為、殺人)なのだ。