風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「哲学の根本には宗教がある」?(カルト宗教が問題になっている今日この頃・・)

このFacebookには、「哲学の根本には宗教がある」というようなことが書かれているんだけど、近頃の統一カルト騒動を見ていて、逆に、宗教に入信する人間は哲学しなければならないのではないか、と思わされる。

 

20世紀のキリスト教神学者パウルティリッヒは子どもの頃、父が牧師を務める教会の副牧師によって疑うことを許されて信仰の成長を助けられたと言われている。ティリッヒは、こうして哲学と神学を統合する哲学的神学者となる。

 

昨日行ったキリスト教書店で、ティリッヒ『信仰の本質と動態』という新書版の書物を見つけたのだが、これから断捨離しなければいけないのにこんな本を買うわけにいかないと思い、中をちらちら見て、家に帰って、ティリッヒの著作集の中身を確認しようと思って買わないで帰った。

Amazonのレビューに「懐疑は信仰の一要素と説くティリッヒの神学は…」と書かれたものがあって、まさにそこを立ち読みして、これだ!と思ったのだが、買うのを思いとどまって、買わないで来た。買ってくれば良かった。

 

 

疑うということと、もう一つ思うのが、過去記事にも書いたのだが、歴史上の人物か否か、という点である。

キリスト(この場合、歴史上のイエス・キリストということなのだが)を実際に目でみるということはあり得ない話なのである。しかし、信じるのだ。

 

私自身は、このところ問題になっている新興宗教の教祖などを目にして、どうしたって、信じようとは思えないのである。

実際に会って、この目で見れば信じられるかというと、どうもそうは思えないのである。逆に信じられなくなりそうに思えるのである、私は。

 

「見えない」ー ここに、哲学が生まれるように思える。

 

では、いったい哲学するとはどうすることなのか?

 

パウルヨハネス=ティリッヒは、一八八六年八月二〇日、ベルリン近郊の寒村シュタールツェデルで、父ヨハネス=オスカー、母ウィルヘルミーネ=マチルダの長男として生れた。…。ティリッヒはその日のうちに三度も死にかかったが、この嬰児体験は彼の性格の影の部分を形成し、ティリッヒは生涯、死の影に脅かされ、存在と非存在の葛藤について思索し続けた。「なぜ存在があって無ではないのか」という難問を考え続けたティリッヒは、死を意味する暗闇や分離を克服する生と精神(霊)について思索したヘーゲルに深い共感を覚えた。特に生と存在は統合を意味するので、ティリッヒが文化と宗教、哲学と神学の統合に配慮する哲学的神学者として大成する根は、その嬰児体験の中に深くおろされていたのである。(大島末男=著『ティリッヒ』p20)

 

宗教というのは、この世の生に留まらず、死と深くつながっている。

 

そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。(コリントの信徒への手紙一15:17、19 新共同訳)

 

ティリッヒのように難しいところまで考えなくても良いとは思う(笑)が、宗教というのは、「死」と密接につながっているものだから、この世の立身出世や金儲けのことばかりでなく、「死とは何か」、「生きるとは何か」、「愛するとは何か」と哲学せずにはおれなくなるのではないか、と思えるのである。

 

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大島末男=著『ティリッヒ』(清水書院)の中に、「・・、ティリッヒが『史的イエスではなく、聖書のキリスト像キリスト教の基礎であり、史的イエスが存在しなくともキリスト教信仰は成立する』という趣旨の研究発表をした・・、この時すでにティリッヒの神学的立場は確立されたのである」という一節が出てくる。

私自身の信仰はやはりこれに近いように思う。「史的イエスが存在しなくとも」というのはかなり思い切った言い方のように思えるが、自分自身の心の中を見てもそのように思えるのである。

だから、考古学で新しい何かが発見されたというようなことは私の信仰と何ら関係がないように思える。イエスが誰かと結婚していたとか、子どもがいたようだとか、そういった発見が私の信仰に影響を与えることは全くないと思う。

それと同じように、進化論が正しかろうが間違っていようが、そういったものが私の信仰を揺るがすことは全くない。むしろキリスト教徒が躍起になって進化論を覆そうとしているのを見たりすると、その熱情がどこから来るのか理解できないと思えるほどである。

私の信仰は逐語霊感説には立ってはいないと思う。けれど、信じる対象であるキリスト像は聖書が伝えるものなのだ。これはどういうことかと考えてみると、私が信じているのは聖書の一語一句ではないということなのだと思う。

私が信じているのは、イエスによって表される救いの神の愛なのだと思われる。

だからむしろ、「愛である神」が存在しないのではないかと思われる事柄や出来事の方に私の信仰は揺らぎやすいと言える。

 

「何のために子供たちまで苦しまなけりゃならないのか」などと、どんなに優しげなことを口にしたところで、「神などいない」と囁いて神から私たちを引き離そうとするのは悪魔に違いないということは充分承知しているつもりであるが、ドストエフスキーカラマーゾフの三兄弟の中では、私はやはり、次兄のイワンに最も共感する。

カラマーゾフの兄弟』がポリフォニー的だというのは良く聞くことであるが、ドストエフスキー自身の葛藤がこのイワンの中に反映されていると思う。『カラマーゾフの兄弟』の中に出てくる登場人物はすべてドストエフスキー自身であるともいえるように思う。この作品の中でドストエフスキーは自身の信仰と不信仰をあらゆる人物を通して言い表しているのだと考えられる。

 

さて、結婚して私が最も驚いたのは、夫との信仰の持ち方の違いであった。

…最近になって聞いた話では、夫の中ではイエスが歴史上の人物だったということは信仰を持つ上で非常に大きなことだったということである。その歴史上の人物であるイエスが死んで復活したということが受洗に至る決め手だった、と聞いた。(もちろん、私にとっても、イエスが死んで復活したというのは最も重要な事柄ではあるのだが・・)

 

誤解してはいけないのは、

歴史上の人物であるということは重要なことである。どうでも良いことではない。

神は、「イエス」という歴史上の人物を通して歴史に介入されたのだ(これって、カール・バルトが言ったことだっけ?)。

 

 

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