いいかい、ドゥーネチカ、ソーネチカの運命はね、ルージン氏といっしょになるきみの運命とくらべて、ひとつもけがらわしくはないんだぜ。(略)ルージン式の小ぎれいが、ソーネチカの小ぎれいと同じことで、いや、ことによると、もっとみにくい、不潔な、いやしいものかもしれないってことが、きみにはわかるのかい?だって、ドゥーネチカ、きみの場合は、なんと言ったって、いくらかは安楽な暮らしをしたい目当てがあるが、ソーニャの場合は、それこそ餓死するかしないかの瀬戸際なんだからね。(『罪と罰』)
母親からの手紙を読んだ後、心の中で妹に向かって語りかけている。その後、
「ちょっと」とラスコーリニコフが言った。「これで(彼はポケットをさぐって、二十カペイカをつかみ出した。よくあったものだ)、これで馬車をやとって、家まで送りとどけさせてください。それにしても、住所さえわかればなぁ!」
「お嬢さん、もし、お嬢さん」巡査は金を受け取って、また呼びはじめた。「すぐに馬車をやとって、送ってあげますがね。どちらへやればいいんです? ええ? どちらにお住まいですか?」
「あっちィ行け!・・・・・・うるさい・・・・・」少女はそれだけつぶやいて、また手を振った。
「いやあ、いかんなあ! え、お嬢さん、恥ずかしいじゃありませんか、まったく!」巡査は、恥ずかしさと、哀れみと、憤りをいっしょに感じながら、また頭を振った。
「弱りましたなあ」と彼はラスコーリニコフに話しかけ、その拍子にまた彼の様子を、足の先から頭のてっぺんまで、じろりと見まわした。こんなぼろ服を着ているくせに、自分から金を出したりするのが、やはり不審に思えたのだろう。
「遠くからふたりを見つけられたんですか?」と彼はたずねた。
「だから言ったでしょう。この並木道で、ぼくの前をよろよろしながら歩いていたんですよ。で、ベンチのところまで来たら、いきなりぶっ倒れたんです」
「まったく近ごろはひどいことになったものですなあ! こんなあどけない娘が、もう酔っぱらっている! だまされたんですよ、そうにちがいない!(略)」
(略)
娘はふいに目を大きくあけ、じっと視線をこらした。そして、なにか合点したらしく、ベンチから立ちあがって、もと来たほうへ戻りかけた。
「ふん、恥知らずめが、しつこくしやがって!」彼女はまた手を振って、つぶやいた。足つきはかなり早かったが、あいかわらずひどくふらついていた。伊達男は、並木道の反対側の歩道を、彼女から目をはなそうとせず、歩きだした。
「ご心配なく、渡しゃせんです」ひげの巡査はきっぱりと言いきり、ふたりのあとを追った。
「ああ、道義も地に落ちたものです!」彼は大きくため息をついて、くりかえした。
この瞬間、ラスコーリニコフは何かにちくりと刺されたように感じた。たちまち彼の気持はがらりとひっくり返った。
「おい、聞きたまえ!」彼はひげの巡査の後ろ姿に浴びせた。
巡査はふり向いた。
「ほっときたまえ! きみになんのかかわりがあるんだ? うっちゃっとけよ! あいつに楽しませときゃいいさ(と、伊達男を指した)。きみの出る幕じゃないってさ」
巡査はなんのことやらわからず、大きく目を剥いた。ラスコーリニコフは笑いだした。
「ちょっ!」警官は片手を振ってこう言うと、伊達男と少女のあとを追って歩きだした。おそらくラスコーリニコフを、狂人か、それ以下の人間と思ったのだろう。
『おれの二十カペイカを持って行っちまいやがった』ひとりとり残されたラスコーリニコフは、いまいましそうにつぶやいた。『なに、ついでにあいつからも捲きあげて、女の子もあいつも無罪放免にしてやりゃいいのさ、それでけりがつかあ・・・・それにしても、おれはなんだって人助けなんか買って出たんだろう! 人助けをする柄かい? そんな権利がおれにあるのかい? あんなやつらは、おたがい取って食いあえばいい。おれの知ったことか。それにしても、よくまあ、あの二十カペイカを気前よくくれてやったもんだ。あれはおれの金かい?』
口ではこんな奇妙な言葉を吐いていたが、内心はひどくせつない気持になっていた。(『罪と罰』)
この時のラスコーリニコフの心情を私の言葉におき変えて言い表すなら、「汚らしいものばかりが目に映る」、「ソーニャとは違う・・・ソーニャとは違う・・・」だ!