風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「信じる」と言い切ることの出来ない私たちに

 

私は、決意の言葉というようなものをあまり信用しない。

 

だからドストエフスキーの言葉も、どういう言葉を語っていたとしても、「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である」という言葉以上に信用できるものはないと思っている。

それでその言葉に拘り、しばしば引用するのだ。

 

しかし神は、「信じる」と言い切ることの出来ない私たちに、言葉にすることをお求めになり、許してくださる。

 

人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。(マタイによる福音書10:32)

 

「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。(ローマ人への手紙10:8~10)