ディコンストラクティブな読解は、テクストの明示的な意味を文字通り受けいれるかぎりにおいて可能なのであって、恣意的な解釈を意味するのではない。(隠喩としての建築)
— 柄谷行人 (@karatani_kojin) 2021年9月8日
聖書から聴き取る時も、書かれていることに向き合うという姿勢が最も大事だろうと思う。
「ユダの中に、サタンが入った」
2021年8月29日(日) 主日礼拝
聖書箇所:ルカによる福音書 22章1節〜6節
場面は、いよいよイエスの十字架へと進んでまいります。
(略)
皆さんは、なぜユダはイエスを裏切ったのだと思いますか。
ルカは、その理由をはっきりとこう書いています。「ユダの中に、サタンが入った。」(22章3節)サタンは、元々「敵対する者、妨げる者」という意味の言葉です。神に敵対し、イエスに従うことを妨げるサタンが、ユダの中に入ったのです。
ある人は「悪魔がわたしたちが想像する姿をしていたならば、恐れるに足りない。悪魔が来たことがはっきりと分かる。しかし、悪魔は善意を装ってやってくる」と言っています。
イエスが荒れ野で誘惑を受けられたときも、悪魔はいい方法があると勧めます。しかも聖書の言葉まで使って勧めます。
悪魔の誘惑を受ける時、人はこうした方がもっといいんじゃないか、と良い選択をしているつもりで、誘惑されるのです。もしかしたら、裏切りにはユダなりの考えがあったのかもしれません。
あるいは、日本的な言い方をすれば「魔が差した」ということでしょう。この場合、何故あんなことをしたのか自分でもよく分からない、ということかもしれません。
なぜユダはイエスを裏切ったのか。理由は、聖書が言うとおり「ユダの中に、サタンが入った」(3節)のです。神に敵対し、イエスに従うことを妨げるサタンが、ユダの中に入ったのです。
そして、わたしたちにもサタンが入ることはしばしばあるのだろうと思います。自分自身のことを考えても、いつも神の御心と御業を愛し、イエスに従う模範的なキリスト者だとはとうてい思えません。わたしたちは罪を抱えており、絶えずサタンの誘惑にさらされています。
(略)
神はわたしたちに御子イエス キリストをお与えくださいました。神は、わたしたちが救われてご自身と共に生きることを願っておられます。
全文は以下から、
https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2021/08/29/210319