宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』を観てきた。タイトルで、ちょっと観る気が起こらなかったのだが・・。
宮崎作品を初めて見たのは、婚約式で行った福島でだった。『魔女の宅急便』。
2011年の『コクリコ坂から』は、その頃実習に来ていた神学生も誘って4人で見に行った。
今回は、娘と二人。
しかし、上手く作っている。
— メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2023年8月12日
妻が亡くなった一年後に、この父親はもう子までなした女を作っているのか?と、観るこちら側にも嫌悪感を抱かせる。
上手い!さすが!まんまと嵌まった! https://t.co/4DZvF93Kjx
祈るときに声が震えることがある。
型通りの定式化した祈りを何も考えずに祈るのは容易いが、無意識の意識化の過程で自分の中の「悪意」を感じつつ聖なる者へと意識を向けて祈るのは難しい。
それが声の震えとなって表れる。
自分の中の「悪(罪)」を受け入れ、自己を統合すれば、声の震えは止む。
自分の中の「悪(罪)」を受け入れ自己を統合する努力は、何によってなされるのか?
それは、「私の中の〈悪(罪)〉をキリストによって完全に受け入れて下さっている方がいる」という、その方への信頼による他はない。
これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 (ルカによる福音書5:8、10)
娘は、梨木香歩の『裏庭』のようだったと言った。「おぉ〜成程!」と思った。