愛は…。今、ここで出会っている、この人への集中である。
神の愛がそうなのだ。
あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。(マタイによる福音書18:12~14)
1つ目の見るには相手の中にある苦しみや悲しみ、社会の無関心、そしてそれに対する彼の諦めを見てとる「見る」、
2つ目の見るには、「私たちに心を向けなさい。心で私たちとしっかり向かい合って見なさい」という「見る」の意味が込められているのです。
正に、肉体を持って私達の所に来て下さった神の子イエスの愛こそが、そうなのだ!
「娘よ、起きなさい」ルカによる福音書8章49~56節による説教