イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。(マルコによる福音書5:35〜43)
リビングバイブルでは、「ただ信じなさい」(36節)の部分に「わたしを」という言葉が挿入されていて、「ただわたしを信じなさい」となっている。
この一語の挿入の意義は大きいと思う。
イスラエルの会堂長でさえ、娘の死に対して為す術を持たなかったことを思わされます。
私自身、夫が救急車で運ばれた直後、あなたに助けを求めることもせず、諦め、覚悟して、これから先どうやっていけば良いかとばかり考えていました。
しかし、少女の手を取り死の中から救い出されたイエス・キリストは夫の手をも取って命へと導き返してくださいました。
死んだ者、死にかけた者に触れれば穢れると考えられていた世界の中にあって、イエス・キリストは律法を越えて救いの業をなしてくださいます。
あなたが、礼拝毎に、祈り会毎に私に御言葉を与え、備えをなしていてくださったことを覚え感謝致します。
私たちの人生にも様々なことが起こります。しかし、あなたは聖書を与え、私たちに備えをなしていてくださいます。そのことを思い、深く深く感謝致します。
https://myrtus77.hatenablog.com/entry/20130722/p1
山本太郎氏には、昨年暮れに落選した時は「いつまでもグダグダ言ってないで次のことを考えろ!」と言いたかったのだが、今回の当選に際しては「落選するより険しい道が待っているのだから心してやれ!」という言葉を贈りたいと思う!。
以下は、凍結されて今は見当たらない過去のツイート。
福島の子どもたちの被曝の問題や、仮設住宅を追い出される避難民の悲痛な叫びを訴える山本太郎さん。時に山本太郎さんは避難者の訴えを読んで涙ぐむ。
この人はやはり落選して泣いて終わる人ではなかった。
これまで誰も作ったことのない政党を立ち上げている。
私のスピーチに応えてくれた最後の言葉も良かった。
「自分のためにも頑張りたいです。」
障害者のために頑張るというのではなく、明日どうなるか分からない「自分のためにも」、と言うのだ。