妖精が糸巻きの椅子に座り旗を繕っているこのオラクルカードには「MENDING(修復)」と記されている。
このカードを見て、イザヤ書のこんな御言葉を思い浮かべた。
あなたがたの中のある者はとこしえの廃虚を建て直し 代々に続く礎を据える。
あなたは「城壁の破れを直す人」「住めるように道を修復する人」とも呼ばれる。
(イザヤ書58:12 聖書協会共同訳)
このカードの解説に、「愛ならどうするだろうか? と自分に問いかけましょう」という一節が出てくる。
「愛ならどうするか」というのは、私たちキリスト教徒には、「キリストならどうするか」ということだ。
「神は愛」(ヨハネの手紙一4章)だからだ。
しかし私自身は、「愛ならどうするだろうか?」という問いかけを随分以前からしていたような気がする。
「キリストに従う」とか、「キリストに倣う」等の言い方がされるのだが、もっと直接的に「愛に従う」とか、「愛に倣う」と言えばどうだろうか?
「キリストに」というと、「愛」という視点がぼやけるのだ。
「神は愛」なのだ、「キリストは神」なのだという思考段階を挟まなくてはならなくなる。