風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『聴く』9月号(葬儀の辞と葬儀の後の花)

8月の末に教会員の御身内が亡くなられ、ご遺族のみの葬儀が行われた。

納棺式を長老が行い、葬儀は近隣の教会の牧師が執り行ってくださった。

9月号の『聴く』にはその葬儀の辞と納棺式の式次第を掲載した。

 

以下、葬儀の辞より抜粋。

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 この葬儀をお引き受けして葬儀の辞の準備をする中で、わたしは1つのことを考え続けました。それは、○○さんはどうして教会で葬儀をしてほしいと思われたのだろうということです。

(略)

 神は人を塵に返し、「人の子よ、帰れ」と仰せになられます。人は造られたものであって神ではなく、その命には神がお定めになる限りがあります。この詩編の言葉は、そんな人の命のはかなさと共に、そのはかないものに注がれる神の眼差しを思わせます。その神の言葉どおり、○○さんは生涯を終えて帰るべきところに移されました。そこは神の御手の中です。死は、亡くなった人とわたしたちを遠く引き離し、ふれることも、語りかけることもできなくしてしまいます。そのことはわたしたちにとって痛みであり悲しみです。そして、わたしたちはそれをどうやっても乗り越えることはできません。けれど、神は違います。死をも越えて、すべてのものを治め続けてくださいます。わたしたちはこの命を終えるとき、ただ消えてなくなるのではなく、この神の手の中に移されます。その神に、○○○○というこの一人を託したいと思います。誰に対しても最もよいことをしてくださると信じる神が、○○さんに対しても最善のことをしてくださると信じて委ねたいと思います。そしてそのことをもって慰めとしたいと思うのです。ご遺族のお一人、お一人の上に神からの慰めが豊かにありますように。

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4ページ目は、

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納棺式の式次第から。

 

下は、葬儀で使ったお花、2週間後まで咲き残った胡蝶蘭と竜胆に庭の蔓草を足して・・。

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