風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

植物を移植する時には・・

植物を移植する時には、グサリと土壌深くスコップを入れなければならない。少しでも根を元の土壌に残しておくと、良い土壌に移植しても枯れるということが起こってくる。
キリスト教徒の信仰にも同じことが言える。間違った土壌に根付いてしまった信仰を正しい土壌に移植する際には、根っこから掬い上げて移さなければならない。中途半端なことをしては根付くことが出来ない。

私達は、人の愛に根ざして生きるのではない。主の愛に根ざして生き、主の愛に根ざして死ぬのだということを骨身に染みて分からなければならない。人との仲良し小好しで生き死にするのではないということを分からせるためには、スコップを土壌に深く突き刺して根っこから掬い上げ、悪い土壌から引き上げなければならない。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。…。

わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。(ヨハネの第一の手紙4:10~12,15~16,19)