これは、古書店に出す訳にもいかないな、と思い、読んでいた。
福音に導かれるまでの苦しい思いが綴られている。
捨てるか古書店に出すか仕分けしていると、付箋のついた古い雑誌が目に入った。
夫は付箋を貼り付ける人だった。
開いてみると、「キリストの信実によって義とされる」(特集=キリストの十字架と復活)という内容だった。1996年4月の『福音と世界』だ。
もう一冊、1995年10月の『福音と世界』も一緒に取り出した。表紙を見ると、「特集=信仰義認論」の中に、同じ方(太田修司さん)の「キリストの信実によって義とされる」が載っている。こちらが「その一」のようだ。
「信実な」という訳は、詩篇の説教の中で、月本昭男訳として紹介していた記憶があるが、夫は、もうこんな時から目にしていたんだな、と思う。
卒論を信仰義認で書いたようだったが、卒業後もずっとこのことに拘っていたようだ。
「キリストの信実」とか、「イエス・キリストの信仰による神の義」という解釈は、主流ではなかったのか?、と思う。
この雑誌二冊も、とっておくことにしよう。