復活とは、完全に死んでいた者が生き返ること。絶望の中にいた者に希望が与えられること。
では、誰が復活するのか?もちろんそれは、まず第一にイエス・キリスト。しかし、それにとどまらず、イエス・キリストの復活を信じる者にも、死からの復活が約束される。絶望が希望に変わる。
「命と希望の朝」(マタイによる福音書28:1~10)より抜粋
今日来て頂いた先生のお説教の冒頭部分である。
「信仰義認」などと難しい言葉は一言も遣われなかったが、「信仰義認」についての理解がきっちりと土台に据えられていて、救いへの確信を新たにされ、感謝でした。
いずれ、全文をご紹介したいと考えています。
夫への手紙
金曜日夜の受難週祈り会から、○○○○○先生に来て頂き、昨日はイースターの墓地祈り会と○○○さんの納骨式まで行って頂きました。
復活とは、完全に死んでいた者が生き返ること。
では、誰が復活するのか?もちろんそれは、まず第一にイエス・キリスト。しかし、それにとどまらず、イエス・キリストの復活を信じる者にも、死からの復活が約束される。絶望が希望に変わる。
これは、お説教の冒頭の部分です。
「誰が復活するのか?もちろんそれは、まず第一にイエス・キリスト」
この言葉に、救いの確信を新たにして頂きました。
そして、
「その途上に主イエスは待っておられ『おはよう』と言われる。えっ?イエス様、それだけですか?と突っ込みを入れたくなりますが、いつものように、今起きてきたというように『おはよう』と言われたこの言葉に、不安の中にいた女性たちは大きな平安を与えられたと思います」と。
納骨式でも良いお話をして下さいました。
「泣いたっていいんです。居なくなって淋しいし。でもキリスト教はそれで終わりではないんです」
○○さんは慰められたことと思います。
もう終わりだなと思ってもなんだか捨てがたく、取り敢えず別の花瓶に移したのが可愛かったりして、写真に撮る。 pic.twitter.com/tu2vyK391O
— メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2023年4月8日