ニーチェが5歳の時、牧師であった父親が亡くなり、その後すぐ弟も病死する。父親と弟を亡くしたニーチェは、母と妹と共に、父方の祖母らと同居するため生まれ育った故郷を後にする。詳しいことは分からないが、生活に困っていたようには思えないが周りは女性ばかりだったように見える。その辺から、ニーチェの心の中には幼い頃から父親不在の「心許なさ」というようなものがずっとあったのではないか、と私は想像する。
死に纏わる事柄というのは、人に尋ねることが出来ないものである。殊に、「どうして僕のお父さんは死んでしまったのか」というような事柄については。これは、尋ねるとするなら神に尋ねる他ない事柄なのだ。けれど私は、ニーチェは神にも尋ねなかっただろうと思う。誰かの死を止めることは誰にも出来ない。けれど神に尋ねなかった代わりに、幼かったニーチェの魂の中に、父親の死をどうすることも出来なかった自分への無力感だけはその後も留まり続けたのではないか、と私は思う。「運命に対して何も出来ないちっぽけな自分・・」というように・・。しかし、この無力感こそはルサンチマンを生みだす根底にあるものではないか!
最近、ルカ福音書の荒野の誘惑での説教で「ここでイエスはサタンの誘惑に遭うわけです。これはドストエフスキーが「大審問官」で非常に的確に捉えている、人々はいったい…人々が一番求めているものは何か?それは先ずパンだ、ということです。だからここでパン、彼自身が窮乏している、そして最も人間が欠乏する、何と言っても食べないと生きていけない、だから石をパンにして与えなさい、そしたらあなたも満たされるけど、多くの人があなたについて来る(以下、略)」と語られているのをお聞きして、そうかぁ〜、と思った。
myrtus77.hatenablog.com● レヴィナス哲学の『罪と罰』★Immanuel Can't Stop Murder(1)
つまり『カラマーゾフの兄弟』の最も有名な山場である。
だが、「大審問官」がこの作品の核心なのではない。
真に核心的なのはその前置きとしてイワンが語る様々な幼児虐待と罪もない子供の苦しみの話である。
罪もなく子供が苦しむ。
それこそがこの父親殺しの物語の真の主題である。
それこそが、カラマーゾフの三兄弟の共有する胸の痛みであり心の叫びなのだ。
否、それ以上にそれはドストエフスキー自身の魂の慟哭である。(抜粋引用)
『カラマーゾフの兄弟』について書かれたものをちらちら読むと必ずといって良いくらいにこの「大審問官」について長々と言及しているのであるが、私も『カラマーゾフ』を読んで以来、「大審問官」は『カラマーゾフ』の核心部分ではないと考えていた。
これまで私は、神のようになるということに、ほとんど反応しなかった。それより無力であることの方にいつも目が行く。育ちの問題とか性別の違いもあるのかもしれないと思うが・・。
「力を持とうとする」、「神のようになろうとする」、これは最も大きな誘惑なのかも知れないと思ったのだった。
https://twitter.com/syodainekosuke/status/1633065894002950145?s=20
官僚なら…高官であってもほぼ普通の生活を送ることができる。…何百万という国民と国の出来事の全てに対し責任を負うこともない。…私が考えていたことは“子供をどこに隠すか”…当然だろう。クビになった時のことを考えてみてくれ。警護がいなくなればどうやって暮らす?どうやって家族を守る?(抜粋) https://t.co/YoYNQ6FvqH
— メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2023年3月7日
G7の首脳全員合わせても、プーチンの胆力の半分にも及ばないのでは? https://t.co/ljBLwJxQav
— J Sato (@j_sato) 2023年3月5日
カストロとその話をした。…だが、私の場合は自分の仕事に専念し警護はプロに任せている。良くやってくれているよ。「暗殺の王道は大統領の警護の内部に入り込むことだ」承知だ。…我々の運命は神のみぞ知る。…誰もがいずれは死を迎える。問題はかりそめの世で何を成し遂げたか。(抜粋)
インタビュアー「民営化も止めた」
プーチン「そうではない。民営化を止めたんじゃない。公平公正に進めたかっただけだ。国有財産が二束三文で売却されないよう手を尽くした」(抜粋)
いやいや、想像を絶する世界だな。