風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

どうにかして伝えたいと思うこと。

 

神戸の震災の一月か二月後だったかに教会関係の炊き出しのボランティアに参加した。

夫は休暇を取って福島に帰る前に、小さかった娘を連れて駅まで見送りに来た。その私を見送った後、娘は夫に「神さまはお母さんと一緒に行ってしまったら、○○とは一緒に居てくれないの?」と尋ねたと言う。

もちろん応えは聞かなくとも分かっている。

しかし、本当にその答を私たちは骨身に沁みて分かっているだろうか?

 

高齢になって礼拝に出られなくなる方達が増えてきている。

けれど、「どこに居ても、どんな時にも、イエス様は、神さまは、あなたと共に居て下さいます」と、伝えたい。

 

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神の子であるキリストが人となって私たちのところに来てくださり、私たち人間の味わう苦しみの全てを味わい尽くしてくださった、ここに慰めを見出す。
「インマヌエル(神われらとともに在す)」の本質は、ここ(見捨てられて、苦しむ者と共にいてくださる)に、ある。

 

「神様が共にいてくださる」、このことをどうにかして伝えたい。

「主がいつもどこにあってもあなたと共にいてくださる」ということを。

 

 

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ここでドストエフスキーが描いているのは、「インマヌエル」、「われらと共におられる神」としてのソーニャである。

否、「ドストエフスキーがこの作品全体を通して描こうとしているのが」、と言い換えた方が良いのかもしれない。

 

 

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