風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「そして何より、羊飼いがいれば、それで十分なのです」(昨日のお説教より)

昨日は、「詩編23:1~6」と「ヨハネによる福音書10:11」から他教派の引退教師による「キリストは私と共にいてくださる」というお説教で礼拝を守ることが出来た。

 

 羊飼いは、羊に何を与えてくれるのでしょうか。

 2節に、「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」と書かれています。「青草の原」というと、芝生を敷き詰めたような、なだらかで美しい草原を想像しがちですが、イスラエルにはそういう所はあまりなく、ごつごつした岩や水もない荒野が多いようです。羊飼いの仕事は、どのようにしたら羊たちに、草や水を探してやれるのかということです。日が沈むと、野宿をし、朝になれば、草と水を探して、羊を連れて歩くのです。羊たちは、羊飼いの後についていけば、草と水にありつけることを知っています。そして草と水で満足するのです。…。しかし、羊は、草と水でいいのです。羊は草と水で充ち足りるのです。そして何より、羊飼いがいれば、それで十分なのです。逆に、羊は羊飼いがいなければ、生きてはいけないのです。

 そしてそれにつづいて、「魂を生き返らせてくださる」というのです。焼けつくような炎天下を歩いて、水と草にありつければ、羊は生き返ることでしょう。しかしそれは、体のことです。私たちには魂があります。魂も生き返らなければなりません。「生き返らせる」は、「立ち戻る」とか「立ち返らせる」という意味があります。自分の魂が、本当に自分のものになることです。どこかに置き忘れてしまったかと思われる魂を、もう一度取り戻すのです。神さまから離れてさ迷い、自分の考えを正しいとしていた人が、神さまのもとに立ち返った時、本当に魂が生き返るのです。

 

 

「羊は、草と水でいいのです。羊は草と水で充ち足りるのです。そして何より、羊飼いがいれば、それで十分なのです」、ここの言葉をお聴きしていて危うくまた涙腺が崩壊しかけたが、なんとか堪えた。

 

 

あぁ、そうだなぁ、「神さまが居て下されば、それで十分だ」、と思うことがあるのだ。

 

 

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サルスベリ

庭に花が、

 

あんまり咲いてない。

ヤブラン