風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

夫の本 ー『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』(秋月龍珉=著)

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そう言えば、西田幾多郎関連の本を夫が持っていた、と思って探し出してきた。

秋月龍珉=著『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』。

1996年第1刷発行の分厚い本だ。中をちらちら捲ってみると、解説を八木誠一が書いているよ〜、まいったな。

 

早速、この解説の中から抜粋引用する。

 秋月は常にこう語る。ここにいう「ひとり」が臨済のいう「一無位の真人」であり、久松真一のいう「無想の自己」である。禅とはなにかといえば、全くのところこの「ひとり」に目覚めることなのだ(だから秋月はキリスト者には禅をこう説明する。覚とは、「もはや私が生きているのではない。私のなかにキリストが生きている」[新約聖書、ガラテヤ二・二○]といえることである)。(八木誠一『解説*禅思想家としての秋月龍珉』より)

 

ヤラレたぁ〜。

この、ガラテヤ2の20の言葉は余程大事な言葉であるようだ。仏教哲学を考える時に。あっ、いや、ドストエフスキーと仏教哲学は関係ないと思うが・・。

 

ともかく、続けて引用しよう。

 秋月は滝沢のいわゆる「不可分・不可同・不可逆」を現代の公案として扱っている。さて滝沢は『仏教とキリスト教』で久松真一の宗教理解を論じたのだが、この書物で重要なキリスト論を展開している。滝沢は、あらゆる人間の自己成立の根底に、その人が何であるか、ないか、何をしたか、しなかったかに全く関係なく、「神われらとともに在す」という事実が直属・厳存するという。彼はこれを「インマヌエル(ヘブル語で[神われらとともに在す]という意味)の原事実」とよび、また「神と人との第一義の接触」とも称する。さてこの原事実は、あらゆる人間のもとに直属するとはいえ、人間は通常この事実に目覚めていない。しかし原事実自身の働きにより、人間がこの事実に目覚めることが起こる。するとここに宗教的な生き方が成り立つのだが、この出来事を滝沢は「神と人との第二義の接触」とよんだ。

 さて歴史上の一人物としてのイエスは、滝沢によれば、「神と人との第二義の接触」を円満かつ典型的に成就した人間であった。その意味でイエスはこの世に神を啓示したといえるのだが、しかしイエスによって「神と人との第一義の接触」そのものが成り立ったわけではない。しかるに伝統的キリスト教は、イエスによって「神と人との第一義の接触」それ自身が成立したと理解したので(実は伝統的キリスト教は、イエスその人がインマヌエルすなわち「神と人との第一義の接触」自体であると理解した)、イエスは人間が神にいたる唯一の道、唯一絶対の啓示者・救済者とされた。ここから生ずる論理的結論は、イエス・キリストを宣べ伝えるキリスト教だけが唯一・絶対の真正な宗教だということである。(略)このように、滝沢はイエスの人格そのものにおいて上述の区別と関係を見るので、滝沢においては仏教とキリスト教の対話は事実上無理なく成り立つわけである。滝沢は一九六○年代にキリスト教の絶対性を批判的に超えて、宗教間対話への道を開いていたわけである。

 さて滝沢はこのように伝統的キリスト教を批判する他方で、久松真一の宗教を非キリスト教的異教として排することをせず、同じインマヌエルの原事実にもとづく真正な宗教と認めるのである。ただ、仏教は、キリスト教のように特定の人間を絶対化して、仏教以外の宗教はことごとく真正ならざる偽りの宗教だと断定はしなかった、その代わりに第二義の接触の一形態に過ぎない「覚」を一切の基準の位置に高めて、この限りで不可逆の秩序を転倒させている、という。しかし久松は滝沢の批判に対して直接応答することはしなかった。(八木誠一『解説*禅思想家としての秋月龍珉』より)

 

八木氏はここで、「(実は伝統的キリスト教は、イエスその人がインマヌエルすなわち「神と人との第一義の接触」自体であると理解した)」と補足を入れているが、伝統的キリスト教の教理を曲解しなければ、滝沢においては、仏教とキリスト教の対話は成立しなかった、と言えるように思える。

 

あぁだ、こうだと所詮は人間の頭で考えたことでしかないと思い、私はこれ以上読まないだろうと思うのだが、ここでちょっと発芽玄米入りご飯とちりめん山椒と小松菜と油揚の煮浸しでエネルギーを補給して、折角だから本文もちょっぴり引用しておこう。

 

 そして、このことは神の独り子と言われ「キリスト」(救世主)と呼ばれるナザレのイエスのばあいも、またけっして例外ではないとする。正統派キリスト教が人類の歴史における“ただ一回きりの啓示”とする“キリストなるイエス”も、滝沢にとっては、あの第一義の「一」に基づいて、その「一」が可能にし、また要請する人間のあり方を円満に具現した人格、すなわち第二義の「一」が典型的に生起した真の人間にほかならぬとするのである。

 そこから滝沢は鈴木大拙が「即非」と言い、西田寸心が「逆対応」と言った(略)原事実を、より具体的に「神・人」の「不可分・不可同・不可逆」という人間存在の根元的構造として言い表したのである。

 「神」(超個)と「人」(個)との〈実体的・作用的〉な関係、ないしその第一義と第二義のそれとの関係は、切り離すことはできない(不可分)が、厳密に区別されなくてはならぬ(不可同)、そしてその間の関係はあくまでも前者が先で後者は後であって、けっしてその秩序を逆にすることは許されない(不可逆)。この三者は一なる真理の三面であると言う。

 滝沢はここから恩師カール・バルトにも覚者久松抱石にも鋭い重大な批判を提起する。カール・バルトにおける神学的思惟の欠陥は、彼が、人間が絶対無条件にそこに置かれている根本状況の存在〈実体〉と働き〈作用〉(第一義のインマヌエル)と、幸いにも根本状況に目覚めた人間の存在と働き(第二義のインマヌエル)との絶対に〈不可逆的〉な区別を、まず第一に、そしてもっぱら、人間イエスと他のすべての人々のあいだにだけ見て、人間イエス自身の中に見なかったという点にある。

 たとえばそれが「キリスト・イエス」であっても、この世界の内部の一つの特殊な形を絶対化しているかぎり、キリスト教は今日もなお、中世的他律からほんとうに自由になっていない。同様のことがまた久松禅学にも当てはまる。

 久松もまた「超個」(根源仏)と「個」(方便仏)とのあいだの〈不可逆的〉な関係を、まず第一に、そしてもっぱら、目覚めた人(覚者=仏)とその他の人々(迷っている凡夫=衆生)とのあいだにだけ見て、目覚めた人自身の中に見なかった。しかし、バルト神学においても、久松禅学においても、主たる力点はいつも、「絶対無相の主体」(超個)と「有限有相の人間的主体」(個)とのあいだの、根元的限界即統一点(「即非」なる原事実)そのものに置かれている。

 この唯一の「場所」においてはユダヤ人もギリシャ人もない」だけではなく、キリスト教徒も仏教徒もない。そこに深い共鳴を覚えながらも滝沢は、人がその生の全重心を、「即非」なる「インマヌエルの原事実」ー仏教的には仏凡一体の根本事実ーにかけるか、それとも、この原事実の徴としての何かの可視的な姿や形や自分自身の体験にかけるかというこの根本的区別は、人がキリスト教徒であるか仏教徒であるかという区別よりも、はるかに重大である、禅にも昔から「野狐禅」と呼ばれるパリサイ的形態があり、同じことは形を変えてマルキシストたちについても言える、と主張してやまないのである。

 滝沢はさらにキリスト教徒の久松禅に対する拒否反応について語るが、これは彼の、従来のキリスト教批判にも連なるのでここに一言しておきたい。久松の発言に一見してキリスト教徒に見られるような鋭い罪意識が欠けているかのような、彼が人間の罪に対してほとんど無感覚な、極度に傲慢な人物ででもあるかのような印象を与えるものがある(ちなみに、ここにいう「傲慢」と前章で我々が問題にした「禅者のヒュブリス」ということとは、ただちに一つでない。禅者の「識羞」ということは、ここでの滝沢の立論の正当性が認められた上でもなお禅にとって大事なことであることは、改めて言うまでもないことであろう)が、しかし事実は全然逆なのだと滝沢は弁護する。

 誰にもあれ人間の「罪」とか「はかなさ」とかいうものを最初にそれだけで立てる者は、すでにその第一歩でかの人間存在そのものの「即非」なる根元的な真理に叛いている。そのとき彼は、彼がほとんど誇りとしている「鋭い罪意識」にもかかわらず、「絶対無相の主体=真実の救い主」から切り離されて、ただそれだけで存在する「罪人」などというものが存在するかのような誤りに陥っている。

 そして従来のキリスト教は歴史内部の一つの特定の形としての「イエス」を、永遠的に現在的な「神の子キリスト」から十分に厳密に区別し得なかったので、第一義の「インマヌエル」の存在がナザレのイエスの誕生という歴史内的な一つの出来事に依存する、と信じて疑わなかった。(秋月龍珉=著『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』p251~253)

 

仏教とキリスト教との対話というこの試みにおいて決定的に欠けているものが二つあると思った。

一つは「神ご自身」ということ。もう一つは「愛する」ということである。

 

日曜の老教師の説教では、「神に造られた万物は神へ帰って行く」と語られ、「その根拠はキリストの十字架の贖い、全被造物、万物の贖い、救いです」と、ヨハネの手紙一「全世界の罪を償う」(2:2)の御言葉を揚げて語られていた。

 

ギリシャ人もユダヤ人もなく、仏教徒キリスト教徒もなく救おうとされているのは神ご自身であって、私たちが哲学して救える訳ではない。

ギリシャ人もユダヤ人もなく、仏教徒キリスト教徒もなく救うために神は独り子である神の子をイエスという“人”としてこの世にお遣わしになったのだから、その意味で、滝沢克己氏はバルトの弟子でありながら、バルト神学を理解できていなかったということになる。しかも、神の選びと裁きがナザレのイエスというキリストとしてこの世に来られた“人”の上に現されたというバルト神学の真骨頂とも言うべき部分を理解していないということだ。私自身もバルト神学を理解しているわけではないが(笑)。

ただ、「禅にも昔から「野狐禅」と呼ばれるパリサイ的形態があり、同じことは形を変えてマルキシストたちについても言える」という私たちの主義的に傾きやすい性状を指摘する言葉と、「そのとき彼は、彼がほとんど誇りとしている「鋭い罪意識」にもかかわらず、「絶対無相の主体=真実の救い主」から切り離されて、ただそれだけで存在する「罪人」などというものが存在するかのような誤りに陥っている」という罪意識についての鋭い指摘の言葉は心に留めておきたいと思う。

 

 

しかしまた、禅における「覚」とは何だろうか。何に目覚めて生きるのであろうか?そこには「愛する」という一事が抜け落ちているように思えた。

ここで、ソーニャを取り上げずにはこれ以上話は進まないだろうというところに行き着いてしまったという気がする。

この続きは、ドストエフスキー罪と罰』で書くことになるだろうか?

 

 

昨日今日でこのブログにアクセスしてきてくださった中に、自分でも書いたことを忘れていたこんな過去記事があった。関係ありそうなので、リンクしておこう。

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