「聖霊なる神」
聖書箇所:エフェソの信徒への手紙 3章16節~19節
1.イエス・キリストの昇天
(略)
2.イエスキリストの昇天はわたしたちを神の国へと導く救いの御業
(略)
わたしたちの命は、神の祝福によって造られ、キリストの救いの業によって神の国へと導かれるのです。
わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか。
わたしたちは神のもとから来て、神のもとへ帰るのです。
わたしたちは行く宛てのない人生を生きているのではなく、帰るべき家へと、わたしたちを愛し続けていてくださる方の元へと続く人生を生きているのです。
イエス キリストの昇天は、ただこの世を離れて、神の国に戻られたというのではなく、天に上げられるということを通して、常にわたしたちと共に生き、わたしたちを神の国へと導く救いの御業なのです。
3.聖霊なる神
さて、聖霊なる神は、わたしたちを救い主イエス キリストに結び合わせ、キリストの命、キリストのすべてで、わたしたちを満たすために遣わされました。聖霊なる神によってイエス キリストと一つにされたわたしたちは、もはや何ものによっても支配されることはありません。イエス キリストで満たされている今は、死もわたしたちを支配することはできなくなったのです。
(ローマの信徒への手紙 8章38, 39節)「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」
また聖霊は、イエス キリストから、わたしたちへという方向で、恵みを与えるだけでなく、わたしたちからイエス キリストへ、そして父なる神へと、結び付けてくださいます。
(略)
4.神と共に生きる命に生かされる
キリスト教の中心は、「神と共に生きる命」です。神と共に生きるとき、命は滅びへ向かうことなく生きることができ、喜びをもって生きることができます。神と共に生きるとき、すべての命が神の愛の中で、共に生きることができます。
けれど、罪がわたしたちを、この恵みから引き離してしまいました。
しかし、父なる神は、罪を抱えてしまったわたしたちの救いを決意されたのです。
そして、子なる神(父の独り子)イエス キリストによって、罪の贖いの業がなされました。
その神の救いの御業、死を打ち破って復活されたイエス キリストの命の恵みに、聖霊なる神が与らせてくださるのです。
キリストと一つに結び合わせ、キリストを通して父なる神と結び合わせてくださいます。
父・子・聖霊の三位一体の神の恵みに包まれて、わたしたちは神と共に生きるものとされ、本当の命の喜びを味わうものとされているのです。
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