風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

私は猫かも知れない・・?

 

猫の行動には根底に怒りが含まれているように思える。

動画なんか見てても、猫はすぐに殴り合いを繰り広げる。「猫パンチ」という名称さえあるくらいだ。上の動画でも、猫は、内心で「コラー、そっち行くなー、あぶないだろー」という怒りの声を発しているように思える。

 

母から「遅いことは猫の子でもする」と言われて育ったので、私もかなり気が短い。怒り出したら止まらない。愛情の根底に怒りを内包しているようなところがある。

 

ところで、動物愛護法で飼い主には不妊去勢手術が義務化されたらしい。

 

 

神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」

神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。

神はそれらのものを祝福して言われた。

産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」

夕べがあり、朝があった。第五の日である。

神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」

そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。(創世記1:20~25)

 

 

此奴の顔をブログに載せたくはなかったが、しかたない。

したり顔でしゃべっているが、その話が通用しない人間もいるんだよ、ここに。

 

 

同じようなことを言ってるように思える場合があるのだが、依って立っているところが違うと真逆になる。

 

myrtus77.hatenablog.com

いつもお聞きしている他教会の先生の今日のお説教も真実を語っておられて、感銘を受けたのだが、今の時代にここまで語ることのできる牧師はそれほど多くはいないと思った。避けて通れるものなら通りたい、お茶を濁してお仕舞いにしたい、そう思える事柄に向き合って語るというのは・・。

しかし、罪と向き合って語る所においてこそ、キリストの十字架が際立って見えてくるのではないだろうか。

「人は皆、罪人なのだ」、「人は皆、神の救いを見る(ルカによる福音書3:6)」(今日のお説教から)