風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

《ごまかし》という罪

子ども讃美歌にこんな歌詞のものがある。

「悪いことは小さくてもお嫌いなさる神さま」

小さい悪とはどういうものだろうか?人殺し等は大きな悪として思い浮かべそうに思える。

しかしキリストの神は、大きい悪も小さい悪もお見逃しにはならないだろう。お見逃しにならないからキリストは、十字架を負われたのだ。

 

ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒言行録5:1~4)

 

《ごまかし》という罪は、罪の中でも最も大きい罪ではないか、と思う。

誤魔化すのはなにもお金に限ったことではない。

自分の過ちから目を逸らせようとしたり、自分の罪をなかったかのように有耶無耶にしようとする行為こそが《ごまかし》という罪であろう。

 

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。(ヨハネの手紙一1:8)

 

江藤は、太宰治の《弱さ》を批判するわけではない。《弱さの演技》、つまり《弱さの自己欺瞞》を批判する。

(略)

 しかし、《弱者》は自分が弱者であるという現実を、それが弱者たる所以なのだが、なかなか受け入れない。そこで、《自己正当化》を試みる。

 自分が弱者なのは、弱いからではなく、《正しい》からだ、《善》だからだ、だからこそ負けたのだ、だからこそ敗者になったのだ、と。自分たちは《正しい》が故に、また《善》なるが故に、敗者になったのだ。

 ここで、ニーチェの言う《価値転倒》が起こっている。《弱いのは正義である》《弱者は善人である》という価値転倒。ここに自己欺瞞がある。

 ニーチェキリスト教的道徳をその典型であると批判する。(略)

 ニーチェは《弱者》や《弱さ》を批判し否定したのではない。弱者の自己欺瞞を批判したのである。(山崎行太郎の「江藤淳とその時代」強さと弱さの形而上学月刊日本4月号」より)

 

自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。(使徒言行録3:19 聖書協会共同訳)

 

口語訳では、

「自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい」と、「本心に」という言葉が挿入されている。

 

自己欺瞞とは対照的な、自分の心に真っ直ぐ向き合うようなイメージである。

 

 

続く「ニーチェルサンチマン理論」

このアガペー思想は、現代よりずっと以前からセンチメンタルなものにされていた。そのことは、ロマン主義において起こった。キリスト教的愛の概念は、センチメンタルな欲求ないし憐憫からほとんど区別されなかった。…かくて慈善が、私が今定義した意味における愛に代わった。これらすべてに対して、ニーチェは戦い、それに生の自己肯定への意志を対置した。彼は、愛のキリスト教的観念の批判者ではなくて、愛を憐憫に還元するセンチメンタルなものとされた愛の観念 ー彼は、それが愛のキリスト教的観念だと思っているのであるがー の偉大な批判者である。力、力への意志、生の自己肯定の名において、彼は強い生をおとしめるこの思想と戦う。

続き、

ニーチェは、われわれが愛について説くにあたって記憶すべき大切な点を明確にした。諸君は無私の愛について語り、他者のために自己を犠牲にしようとするが、これは、他人の保護の下にはいり込もうとする弱者のための道であるにすぎない、とニーチェはいった。精神分析学者のエーリッヒ・フロムは、ニーチェが攻撃したこの誤った種類の愛を共棲的愛と呼んだ。これは、強者に対する弱者の愛であり、それは他者を搾取する愛の一形式である。この種の自己放棄は、搾取への無意識的な欲求を持っている。これこそニーチェが実際に戦った相手である。

続き、

ニーチェは、音楽にも非常に興味を持っていた。彼は偉大な作曲家であり、現代音楽へのかけ橋となったリヒャルト・ヴァーグナーの親しい友人であった。しかし、最も興味のある事件の一つは、ニーチェヴァーグナーの衝突であった。…次第にニーチェヴァーグナーのなかに感傷性の宗教の回復に気づいた。…。ここで力への意志、生の自己肯定の意志を主張するニーチェは、徹底的に激しく反発した。(ティリッヒ著作集 別巻三より「ニーチェルサンチマン理論」)

 

キリストの神の愛は、キリストを十字架に架けて裁かれる愛である。