今日の神学生のお説教から以下に抜粋。
「神の愛」(ルカによる福音書15:11~23)
「我に返って」。ここで主イエスは、罪を冒したわたしたちに、「よくぞ、我に返った」とほめて言っているのです。人が神から離れ、神からさからっている間はほんとうの自分からも離れています。立ち返るときにはじめて、人はほんとうの自分を見出します。
(略)
「父よ」と呼びかけができること、主イエスは、弟子たちに、このように祈るのだと教えてくれました。それが「主の祈り」です。そのはじめに、「父よ」と神へ呼びかけられる、近しさをもって呼びかけられるようにしてくれました。弟子たちも神の子であること、神のみ前に子としての身分であることが示されたのです。
ですから、「父よ」と呼びかけるとき、天におられる父、父なる神、神が天におられることを、思い出させてくれます。それは、神と子との関係であることを示しています。
(略)
このように。全能の神であるとともに、父なる神は、聖なる愛をもってわたしたちを見つめ、わたしたちに必要なものをご存じです。わたしたちのかすかなため息も聞き分け、永遠の愛をもって愛してくださる、さらに、父なる神は、「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」(エフェソ3:20)であることを思い起こすことができるでしょう。「父よ」と呼びかけるとき、わたしたちが、天にいますわたしたちの父、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神の御前にいることをいつも覚えることができます。とても感謝なことです。
娘は、「人が神から離れ、神からさからっている間はほんとうの自分からも離れています」という部分に聴き入ったようであった。
踊り場には、
このイエス様の前に来て、私達は、初めて本当の自分を知ることが出来るようになるのです。
(略)
イエス様の光に照らされて、罪赦された本当の自分を知ることができますように。
ところで、私のブログを見て下さっている方達は本当に良く見て下さっているようで、最近、以下のような記事にアクセスして来られた方がいた。
この引退教師のお説教の記事にアクセスして来られた方は、私が同じ箇所から高学年に向けて話した中に間違いがあることを伝えようとしてくれたのかも知れないと思った。