ユースの会の友人が急逝して悲しんでいる娘に、御言葉を分かち合いたいと共通の友人から第二コリントの言葉が送られてきた。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。(コリントの信徒への手紙二1:3〜7)
この中の、「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります」(1:6)に注目した。
私たちの苦しみがあなたがたの慰めと救いになるとは、何という言葉だろうか、と思う。
もちろんこれは、その前の、「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」を根拠として語っている言葉だろう。
ドストエフスキーの世界を思い浮かべる。