風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

タロット0番「愚者」のカードとワンドの4

占いについては、この前の日曜に代読して頂いた説教でも、「わたしたちは明日を知らず、今をただひたすらに生きています。占いなどを頼りに明日を知ろうとし、幸せになることを欲しています」と語られていたのだが、私には「幸せになりたい」という感覚がピンと来ない。「幸せ」ってどういうことか?と考えてしまうからだ。

「幸せになりたい」よりも「愛せるようになりたい」というのなら、良く分かる。私は若い頃から愛したいと思って生きてきたからだ。自分には人を愛することが出来ないと思っていたからだ。

 

しかしそのことは横に置いておいて、では何故占いに興味があるのかと言えば、それは人知では理解できない法則性というようなものが見出せるのではないか?という思いからなのだ。

 

例えば、星座なんかも人間を12星座の中に納めて理解など出来ないだろうと言う人もいる(うちの夫だが)。もちろん、そうだと思う。たった12の類型の中に納めて理解できるとは思わない。同じ星座でも一人一人違うだろう。あるいは、あの人と同じ星座だなんて・・と思う場合もあるかもしれない(笑)。

しかし、私の中には法則性とか秩序を希求する思いがあるのだ。

キリスト教の中に私が求めていたのもそういったものだったと思う。

神は混沌の中から世界を造られた!

しかし一方で、そういったものをも神はもちろん超えていると思っている。

何故なら、蟹座の私が相性の悪い水瓶座の夫と結婚したからだ(笑)。そういったものをも超えて神によって引き合わせられたのだ。

 

神学者パウルティリッヒは、宗教と哲学、宗教と文化、キリスト教と仏教など、キリスト教とあらゆるものとの相関を探った人だと思うが、私もブログでは「葛原妙子の短歌とキリスト教」、「おとぎ話とキリスト教」、「ドストエフスキーキリスト教」、「ガルシア=マルケスキリスト教」等、二つのものの間の相関関係について書いてきた。そこに、「タロットカードとキリスト教」を加えたいと思ったのだ。

前置きが長くなった。

 

 

タロットカードの0番に「愚者」のカードというものがある。このカードの意味は「自由」ということらしい。

私は持っていないのだが、ネットの検索で良く出てくる「愚者」のカードには、小さな荷物を肩に担いで、崖っぷちに立って、空を見あげて、今まさに一歩を踏み出そうとしている人の絵が描かれている。

 

しかしYouTube動画で聞いたこのカードの説明には、「結婚によって自由になる」という意味があるというのだ。

「結婚」というと、「結婚は人生の墓場だ」等と言うし、「自由」というよりは「束縛」という言葉の方がピッタリしているように思えるのだが、何故か私には「結婚による自由」が分かるような気がしたのだった。

 

myrtus77.hatenablog.com

神は、わたしたち一人一人を結びあわせる愛の絆そのものでした。わたしたちが身に負っている罪のくびきを取り去り、自由にしてくださいました。しかし、多くの人は神と共に生きることが自由だとは考えません。罪人は、自分の身勝手が自由だと勘違いしてしまっています。そして、罪人は自由を求め、自分の求めている自由によって傷つくのです。わたしたちを子としてくださり、愛し、守り、導いてくださる神こそが、本当の自由を、本当の豊かさを、そして本当の喜びを与えてくださるのです。

 

そうなのだ。確かに、私たちは自由を求めて神の支配から逃げようとする。

しかし、代読して頂いたこの説教でも語っているように、私は、「愚者」のカードの「結婚による自由」から「神の元にある本当の自由」を連想したのだった。

 

別のカードリーダーはこの0番のカードについて、「自分を信じて、相手を信じて、世界を信じて歩み出す」と語っていた。その言葉からはアブラハムを思い浮かべた。

 

そう言えば、夫の好きなこんな歌も思い浮かべる。

教会員が経営していた保育園のクリスマス会などで良く歌っていたものだ。

www.youtube.com

いつも信じよう真心を

勇気を胸に進もうよ

 

 

もう一つは、これも私は持っていないのだが、「ライトシアーズタロット」「ワンドの4」の絵だ。このデッキの絵にはテントの周りに4本の杖が立てられていて、その手前でタンバリンを持った女性達が踊っている。このカードには、「ひとときの休息」というような意味があるようだ。

出エジプト後、紅海を渡り終えた後のミリアム達の姿を思い浮かべる。

 

主はモーセに言われた、「…。あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。(出エジプト記14:16)

 

パロの馬が、その戦車および騎兵と共に海にはいると、主は海の水を彼らの上に流れ返らされたが、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行った。そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムはタンバリンを手に取り、女たちも皆タンバリンを取って、踊りながら、そのあとに従って出てきた。(出エジプト記15:19,20)

 

この絵柄がワンド(杖)のカードに描かれているというのも、モーセの杖を連想させて聖書的だと思わせる。