風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

牧会について(夫のやってきたことと、私の考え)

神学校の牧会学の授業だけでは十分でないと思っていたようで、夫は、牧師になった頃から、カウンセラーの講習を受けたいと言っていた。けれど、そういったものは受けないまま今日まで来た。目の前に起こってくる課題に取り組むだけで精一杯だったかと思う。

 

最初の赴任地では、他教派から一時的にうちの教会に来られていた方がいて、夜中に、「これから死にます」と言うので、行って一晩説得したというようなこともあった。その方の教会の牧師さんは牧会カウンセラーの資格を持った方のようだったが・・?その方が今はどうされているかは分からないが、私たちが次の赴任地へ引っ越すまではお元気にしておられた。

札幌では、話を聞いてほしいとやってきた人の話を2時間、3時間と聞いて、結局最後はお金を下さいと言われることが多かった。

「僕は、来るものは拒まず、去る者は追わず」と言っていたこともあるが、実際、そんな感じだったと思う。

 

教会の内に対しても、外に対しても、これまで私は直接的に人と関わることはほぼなかったが、教会に住んでいると電話はかかってくる。教会というだけで悩みを聞いてもらえると思っている人が思いのほか多くいるように思われる。

私は、基本的に、親切に何時間も話を聞くことはしない、という考えだ。

しかし、電話の場合は切羽詰まってかけてくるということもある。それに対して、「私は・・」などと悠長に言っていられる場合でないということもある。その場合は、腹をくくって対応するしかない。

 

しかし、いずれの場合も、キリストにつながって頂くという地点が、私の目指すべき所だと考えている。

 

私自身が、神を知ることで、これまでの人生を生きて来られたと思っているからだ。

 

 

ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒言行録3:6 新共同訳)

 

「立ち上がり」という一言が入っているのが、良い。