風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子32

生誕ののち數時間イエズスはもつとも小さな箱にいましぬ『をがたま』「葛原妙子31」で私はこの短歌を取り上げて、「美しい歌」だと書いた。では、この歌のどういった点が美しいのか。
それは、この歌の中に妙子の信仰が表されているからである。

最終歌集『をがたま』は、葛原妙子が亡くなった後にまとめられ妙子自身による取捨選択がなされていないため、昭和53年から58年に発表された作品が制作順に置かれているとのことだ。受洗は、没年である昭和60年の4月12日と年譜に記載されている。没年の前年に「健康状態が旧に復さず、この年から作品発表なし」と記されているから、『をがたま』に収められている短歌は信仰を告白する以前に作られたものと言える。けれど、『をがたま』の中で詠われているイエス・キリストの歌にははっきりと信仰が言い表されている、と私は確信する。

かすかなる灰色を帶び雷鳴のなかなるキリスト先づ老いたまふ『をがたま』
ヨハネの黙示録などでは、再臨のキリストや神の御座からの声と思われるものを「雷鳴」や「大水のとどろき」で表している箇所があるが、『をがたま』の中のこの歌の後に続いている二首を見ると、むしろこれは十字架上のキリストを詠ったものだと思われる。
妙子の歌の中には、「樹」や「柱」で十字架を表そうとしているものが見受けられるように思う。

朴の木も橅も虛空にそばだつを夜陰の樹間いなびかりせり『をがたま』
(よ)りかかるキリストをみき青ざめて苦しきときに樹によりたまふ

主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし 王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。 (サムエル記上2:10)
万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共につむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに。(イザヤ書29:6)
「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
エスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。(マタイによる福音書27:42~43、45~46、50~52)

「先づ老いたまふ」と詠うこの歌は、自らの老いの中で、人としての生を担ってこの世に来てくださったキリストを思っている歌である。
しかし、クリスチャンと名乗る人の中でもこのように信仰を言い表すことのできる人がどれくらいいるだろうか、と私は考える。若くして十字架を負って死んだキリストに「老いる」という現象を見ることが、先ず難しいように思う。そして人は、信仰を持っても、自分を主にしてしまう罪に陥りやすいのだ。神から与えられた信仰でさえもいつの間にか自分で獲得したものででもあるかのように心の中ですり替えてしまう。全てにおいて、キリストより自分が先に立って歩こうとする。しかし、再臨のキリストは、先ず、人となってこの世に来られたお方であるのだ。年老いる人となって。

彼らの王が彼らに先立って進み 主がその先頭に立たれる。(ミカ書2:13)
主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。(申命記31:8)
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。(コロサイの信徒への手紙1:15~17)
エスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。(マタイによる福音書9:35)
エスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(ヨハネによる福音書5:17)
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。(ペテロの手紙一2:21)
こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。(ペテロの手紙一3:19)
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。あなたがたのために場所を用意しに行く。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。(ヨハネによる福音書14:1~3)


鳥の巢のごとき高原の教会にこころ逃れてあさきねむりぞ『飛行』
その胸よひた思ふなり肋骨が知慧(ちけい)のごとく顯ちたる胸を

知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。(コロサイの信徒への手紙2:3)
「葛原妙子22」で取りあげたこの高原の教会にはキリストの磔刑像が置かれていたのだろうか。思えば、葛原妙子はこの第三歌集『飛行』の頃からひたすらイエス・キリストを見詰めつづけてきたのではなかったか。

(よ)りかかるキリストをみき青ざめて苦しきときに樹によりたまふ『をがたま』
バルトは、罪人を救うキリストの行為の中にのみ神の臨在を見ることが出来る(大島末男『カール=バルト』)と考えたという。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。(テモテへの手紙一1:15)
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピの信徒への手紙2:6~8)

葛原妙子は自らの罪の苦しみの中で、キリストが負われた苦しみを見、老いと病の中で、全てを負って先立たれるキリストを見ていたと言える。
「先づ老いたまふ」「樹によりたまふ」「箱にいましぬ」ーここに、妙子の信仰が言い表されている。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。(イザヤ書53:3)

わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。イザヤ書46:4)

尚、年譜については、『葛原妙子全歌集』(砂子屋書房)中のものを参考にした。