昨日代読して頂いたのは、「イエスはわたしたちと共におられる」と題されたマルコによる福音書4章35節からの説教であった。
イエスに従うとき,わたしたちが考える平穏無事な人生があるのではありません。
嵐に遭い,舟が沈みそうになり,「神はなぜ何もしないんだ」と叫び訴える。しかし,舟は沈まない。イエスが共におられるからです。イエスは他の場所におられるのではありません。嵐のただ中にあるときも,わたしと共にいてくださいます。
イエス キリストは、インマヌエル=神は我々と共におられる、と呼ばれるお方です。
イエスに従い,イエスと共に歩む限り,わたしたちは恐れる必要はありません。与えられた力でなせることをなせばよいのです。そして,主に祈り求めればいい。叫ばなければならないときは叫び訴えてよいのです。
イエスは起き上がって御業をなされる。イエスは死者の中からでさえ起き上がり,救いの御業をなしてくださった御方です。
イエスと共に歩み,イエスの御業を見る者は,信仰が日々新たにされる。「まだ信じないのか」というイエスの声に導かれて,信仰から信仰へと歩み行く。驚きは喜びに,喜びは讃美へと変わる。
どのような嵐に遭っても,イエスはわたしたちと共におられ,わたしたちを救われます。そして,わたしたちを神の国へと導かれます。
代読して下さった長老は、元の説教にご自分で聴き取られた言葉を足して語られた。このお説教は後日『聴く』に掲載させて頂きたいと考えている。
夫は、説教は語ってしまえば自分の手を離れると言っていたが、(これも夫が良く話していたことだが)福音というのは自分の手の中に握りしめておくものではなく、次へと手渡していくものだろう。
聴き取ったものを受け止めて、そうして次へと手渡す行為こそが伝道だと言える、と思う。
以下は、昨日ユースの会で紹介された歌。
「その日全世界が」
作詞・作曲 長沢崇史
わが神主よ 見させたまえ 偉大なるその計画
天が開き 光が満ち シオンの上にとどまる
救いの御業 全地をおおい 喜びの歌響かせ
その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる
その日全世界が 主の御名高く掲げる
叫べ 王の王イェスに ハレルヤ 栄光とわにあれ
王の王なる主イェスに 全能なる主イェスに