風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「『十字架につけろ』と叫ぶ者たち」(ルカによる福音書23:13~25)

「『十字架につけろ』と叫ぶ者たち」

 

 2022年2月6日(日) 復活節前第10主日 

聖書箇所:ルカによる福音書 23章13節~25節

 

(略)

 

 この場面、自分の信仰は大丈夫だろうかと様々な不安に陥るわたしに対して、イエス キリストが、そのあなたの罪をも負って十字架につかれた。「十字架につけろ」と叫ぶ声を前にして、一言も発せず、その罪のすべてを負って、その罪を贖うために自らを差し出された。イエス キリストが、このわたしを罪から救ってくださる。自分の罪にさえ気づいていないこのわたしをもイエス キリストが救ってくださる。イエス キリストだけが、わたしを知っておられる。自分でさえ気づいていない罪をも知っていてくださり、その罪のすべてを贖うために、自らの命を献げてくださった。これらのことを、聖書は証ししているのです。

 イエス キリストがわたしたちを罪から救ってくださいます。わたしの信仰が救うのではありません。イエス キリストだけがわたしたちを罪から救います。

 大切な教えを悟り、教えてくれる素晴らしい偉大な人物は歴史上何人もいます。しかし、わたしたちを罪から救い、死から永遠の命へと導いてくださるのは、イエス キリストただお一人だけなのです。

 

 だからこそわたしたちは、聖書が言うように、イエス キリストを誇りとし(1コリント 1:31)、イエス キリストに望みを置いて生きていくことができるのです。

 

 

 

祈り

 主イエスキリストの父なる神さま、私たちも「十字架につけろ」と叫んだ者と同じように、自分の願い、自分の願望、自分の信仰ばかり見て神さま立ち返ろうとしない私たちです。しかし、そのような私たちのためにイエスキリストは十字架にかかってくださいました。イエスキリストだけが私たちを罪から救い出してくださっています。どうか、イエスキリストにゆるされつつ、イエスキリストを誇りとし、望みをおいて生きていくことができますように。主イエスキリストの御名を通して祈ります。

 

全文は→https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2022/02/06/192720

 

 

この日の説教代読は、紙に書かれた説教に、息が吹き入れられたようであった。