風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

神の言葉を体現して十字架の前に立たれるキリスト(復活節前第11主日礼拝説教より)

 「ヘロデの尋問」

 2022年1月30日(日) 復活節前第11主日 

聖書箇所:ルカによる福音書  23章6節~12節

 

(略)

 

 イエスは、無力な一人の人間として、裁判に引き出されています。今、イザヤが預言したように沈黙してそこに立っておられます。イザヤは言います。イザヤ書53章の7節「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。」

 

エス キリストは、神の言葉を体現してここに立っておられます。

 

 イエスは、人々が期待する力強いヒーローのような姿をしていません。しかし、何百年も前から預言者が語っていたとおりの姿で、人々の罪を負い、神に裁かれる者として、神の言葉を体現してイエスは立っておられます。神の言葉が真実であることを、身をもって示しておられます。

 

(略)

 

全文は→https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2022/01/30/194514

 

この日、教会のサイトに掲載された説教をコピーペーストして夫のブログに載せると、後半部分の「イエス キリストは、神の言葉を体現してここに立っておられます」という一行が際立って見えた。

2018年に夫が自分で語りブログに載せたもの(https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2018/03/20/113807)は、こんなふうに行間を取ってはいない。

代読された長老がここを聴き取って、このようにプリントされたのかと思う。

 

 

そしてこの説教のこの部分は、12月号の『聴く』に連動していると思えた。

 

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全能の神が無力な幼子として生まれ、世話をして貰わなければ生きていけない赤ん坊として世に来られました。限りある者となり、刺されれば痛みを感じ、血も流し、命を失ってしまう“弱い”ものとなられました。

 

 

 

myrtus77.hatenablog.com