風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

聖書的なあまりに聖書的な絵本『しあわせなふくろう』

教会の青年が何気に飾っていた絵本の内容が凄かった!

幸せそうに暮らしている二羽のふくろうに、百姓家の鳥たちが「どうして静かに仲良く暮らしているのか」と尋ねて、聞き終わると、「なんてまあ、ばかばかしい!」「そんなことでしあわせになれるはずがあるもんか!」と、ふくろう達にくるりと背を向け元通りの「食べては喧嘩ばかりしている暮らし」に戻っていった、というお話。

 

なんか、最近似たようなことを説教で聞いた気がした。

myrtus77.hatenablog.com ホセアという預言者は、紀元前8世紀に北イスラエル王国で活躍した人です。

 この時代には、イスラエル民族は北と南の2つの王国に分裂していました。分裂してしまうと、それぞれ自分たちの利益を考えて行動し、時に同じ民族でありながら争うことも起こってきました。

 

myrtus77.hatenablog.com 彼らは多くのいけにえを携えてきて、それを『神の供え物』と呼びます。しかし、イスラエルのいけにえの場所や祭司は違法なものであるので、主にとってみればそれらは単なる『肉』にすぎません。13節にある『肉を食べるのは彼らだ』、これが彼らの主な関心事でした。彼らの目的は罪の赦しを得ることでも、神への感謝を表すことでもなく、食欲を満たし、欲望を満たすことだったのです。 イスラエルの献げるいけにえを拒み、「主は彼らを喜ばれない」のです。罪の赦しを得て、神に再び罪を覚えないようにしていただく犠牲が、かえって「主は彼らの不義に心を留め、その罪を裁かれる」ものとなるのです。何と皮肉なことでしょうか。

 

 

しかも見開きで飾っていたのが、

当たり障りのない、季節を感じさせるこんな頁。

センスの良さを感じさせる。

 

 

 

 

ところで、野良猫騒動は複雑な様相を呈してきた。

昨日は祈り会があったので、終日駐車場を開けていた。それで少し中まで踏み込むことができたせいか、門柱の後ろ側に撒いていた。しかも、夜の8時位までの間に。

猫は、10時過ぎてからやってきた。それで、明日朝になってから片付けようと考えていたキャットフードをすっかり平らげてしまっていた。

この前来ていた人はこのところ見かけない。しかし毎晩キャットフードは撒かれている。この人は、ただ子猫を眺めていただけなのかも知れない。

お隣の方の話では、以前、男女二人組がうちの門柱の上にキャットフードを置いているのを見つけて注意したと言う。

 

そしてもっと厄介な話が・・。

私の望みは、ただ静かに暮らしたいということだけなのだが。