風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

憲法記念日は過ぎたけれど、日本国憲法の誕生について


「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」 日本国憲法ノーベル平和賞もらったら、いったい安倍首相はどんな顔をしてコメントするか想像するだけで楽しいですね。

● 日本国憲法の制定過程(その1)と日本国憲法の誕生
 1949年10月1日に中華人民共和国が成立し、1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると、米国は日本を共産主義に対する防波堤とすべきだと考えるようになった。そして、日本国憲法9条戦争放棄条項が邪魔になってきた。9条ゆえに、日本の兵士を朝鮮戦争に動員することができないからである。D.マッカーサーは、米国議会でなぜ日本に戦争放棄条項のある憲法を定めさせたのかと追及を受けている。
 こうしてみると、CIAのスパイである岸が、なぜ「自主憲法制定」「自主軍備確立」を訴えたか、その理由は、あきらかであろう。日本に米国の戦争の下請けをさせる上で、日本国憲法9条戦争放棄条項が邪魔だったからにほかならない。今日の「集団的自衛権行使」と「自主憲法制定」と「国防軍」のセットも同じ意味である。

日本国憲法の制定過程(その7)国民主権・基本的人権の尊重・象徴天皇制の源泉
「何となれば男女の二者は特に分かってこれを称すればこそ爾かく男女と別るれども、そもそも人類たるの大段落に至ってはかつて少しも相異なることなければなり。同じくこれ人なり、しかして甲には権利ありとなし、乙には権利あらずとなす、これ自ら撃切するものと謂わざるべけんや」(植木枝盛の「男女の同権」)
幣原喜重郎が最晩年(昭和26年)に述べていることであるが、「元来、象徴が天皇本年の姿であり、権力などとは関係はなかった。民族のふるさとと言うか、日本人全体のお友達である。だから永くつづいてきたのであり、本来のその在り方に戻るのが陛下の願いであった。 」幣原が「象徴天皇」を発案したというのではないが、明治から戦前の軍事大権・政治大権をもった天皇のあり方は、確かに伝統にそぐわない異形のものであった。逆に言えば、明治に欧米列強に伍するために造り上げられた覇王のような天皇制が伝統に背くものであったからこそ、数十年で破綻してしまったとも言えよう」(ブログより)

● 武田清子「天皇観の相剋」 外国が映す日本の二重性「この相剋の帰結は、天皇人間宣言象徴天皇制となりますが、実は外国という鏡に映った日本の中の相剋だったというのが私の見方です。そもそも明治維新 のシンボルとしての天皇観に対立があった」「二重構造の天皇観が、敗戦で連合国という異質の文化と出会い、民主化というドラマが始まりました。その時、連合国と共演した日本人は誰なのか。私は、天皇の側近だったようなオールドリベラリストではなく、大正デモクラシー天皇機関説インパクトを与えられ、民主化への希望を懐に持っていた一般民衆だったと思いました。そういう人たちが新憲法を支持した」

日本国憲法 誕生の真相 〜 映画「日本の青空」(30分ダイジェスト)

「日本人は自分で天皇の問題に答を出さなくてはなりません。少なくとも天皇は神ではなく人間であって、その即位にあたっては議会の承認を受けるべきです」(鈴木安蔵の言葉)

「女は誰も戦争に賛成しないわ。自分が産んだ子どもを兵隊なんかに取られたくないから。女が選挙権を持ったら、きっと軍隊のない国を作ると思う」
「後一ヶ月で日本の女性にとって史上初めての総選挙。女は絶対この憲法に賛成する人に投票するわ」(鈴木安蔵の妻の言葉)

「かつて陸軍参謀本部が女性に選挙権を与えないよう圧力をかけたと言うが、戦争放棄と男女平等は車の両輪なのかもしれない」(ナレーションより)

私自身は「女は誰も戦争に賛成しない」とは思っていない。曲解した積極的平和主義を自らの哲学でもって支えようとしている女性もいるのだから。けれど、「女は誰も戦争に賛成しない」と言って手をつなげる女性とは手をつないで「戦争には反対する」と宣言して生きて行きたいと思っている。戦争にも原発にも大反対だ!


New York Times 「日本の平和憲法」「これまでのところ、ホワイトハウス解釈改憲が専一的にアメリカの軍事戦略への協力をめざすものであるという説明を受け入れてきたが、ニューヨークタイム ズに代表されるアメリカのリベラル派の世論は安倍内閣の「積極平和主義」路線がその本質においてアメリカの国是である民主主義そのものを否定するモメント を含んでいることを指摘している」
ニューヨークタイムズの懸念は理解できるが、「あの国は嫌いだけれど、利用できるなら利用する」というマキャベリズムをホワイトハウスはいずれ採用するだろう。・・。ただ、アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう」

積極的平和 実現へ日本の貢献は? (東京新聞)「それどころか、坪井氏は「Proactiveは軍事用語では『先制攻撃』のニュアンスで使われる。米国人は『日本は集団的自衛権の行使容認に踏み切りま す』と受け止めるだろう。逆に、和訳によって、日本では『軍事力を行使しない』と誤解する人がいるかもしれない。言葉のマジックだ」と指摘する」(記事より)
「積極的平和主義は時々戦争そのものになる」首相のオトモダチが仰天発言
長谷川:「これこそが私が指摘した積極的平和主義の問題点だと思う。積極的平和主義は常に戦争に近いところを行く。・・。積極的平和主義とは戦地に行くことだと考えなければいけない。これが私の考える戦争と平和の重大な矛盾だ」(記事より引用)

長谷川三千子氏は「積極的平和」の本来の意味を理解していないようだ。(参考→http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20140309/p1私の目には、長谷川三千子氏は壊れかけているように見える。論理の破綻した安倍政権の辻褄合わせを無理矢理しようとして自己矛盾に陥っている。そんなものは「戦争と平和の矛盾」などでは全くないよ。安倍政権の掲げる嘘っぱちの平和主義と本物の平和主義の違いだつぅだけだ!(ミルトス)

NHK経営委員:新聞社拳銃自殺事件を礼賛 百田氏は『永遠の0』で「天皇のために死んだのではない」と連呼していたから、同じNHK経営委員でもこの長谷川三千子氏とは考え方が真逆なんだな。それとも百田氏も「特攻隊員達は天皇のために死んでいった」と今では考えを変えているのだろうか?そのうち「天皇のために戦争に行け」とか言い出しそうだな。(ミルトス)