風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

百田尚樹=作『永遠の0』と椎名麟三、そして・・・


NHK経営委員:新聞社拳銃自殺事件を礼賛 百田氏は『永遠の0』で「天皇のために死んだのではない」と連呼していたから、同じNHK経営委員でもこの長谷川三千子氏とは考え方が真逆なんだな。それとも百田氏も「特攻隊員達は天皇のために死んでいった」と今では考えを変えているのだろうか?そのうち「天皇のために戦争に行け」とか言い出しそうだな。百田尚樹氏は『永遠の0』を裏切った。(2014年2月時点で、ミルトス)

ようやく『永遠の0』を読み終えた。もうここで読むのを止めようと思ってしまったのだった。けれど、もう一度思い返した。

『永遠の0』には、天皇陛下のために戦ったのではないという台詞が幾度か出てくる。

以下、抜粋引用。

 私はこの時の米軍の雷撃機の搭乗員たちの気持ちを考えると胸が熱くなります。彼らは戦闘機の護衛なしに攻撃するということがどんなことかわかっていたはずです。・・。自分たちはまず生きては帰れないだろうと覚悟したに違いありません。にもかかわらず彼らは勇敢に出撃しました。
 ・・。
 私はミッドウェーの真の勝利者は米軍雷撃隊ではないだろうかと思います。珊瑚海海戦で、燃料切れを知りながら、味方を誘導した我が索敵機の搭乗員も、この時の米軍の雷撃機も、戦争に勝つために自らの命を犠牲にしたのです。
 国のために命を捨てるのは、日本人だけではありません。我々は天皇陛下のためという大義名分がありました。しかしアメリカ人は大統領のために命は捨てられないでしょう。では彼らは何のために戦ったのかーそれは真に国のためだったということではないでしょうか。
 そして実は日本人もまた、天皇陛下のために命を懸けて戦ったのではありません。それはやはり愛国の精神なのです。
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 我々の中には天皇陛下のために命を捧げたいと思っている者など一人もいなかった。
 戦後、文化人やインテリの多くが、戦前の日本人の多くが天皇を神様だと信じていたと書いていた。馬鹿げた論だ。そんな人間は誰もいない。軍部の実権を握っていた青年将校たちでさえそんなことは信じていなかっただろう。
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 俺は国のために戦ったのではない。もちろん国民のためでもない。家族のためでもない。まして天皇陛下のためではない。断じてない。
 俺に身よりはない。だから誰かのために戦うなどということはなかった。(『永遠の0』より)


椎名麟三「しかしそれは、・・、真といい、ホントウという根拠を死から得ていることを知ったのである。愛国者でも真の愛国者となることは、天皇のために死ぬことであったからである。武士道とは死ぬこととみつけたり、ではないが、ホントウとは死ぬことだとみつけたのである。そして、たしかにそうだった」と書いている。そして、「人間は、だれかをホントウに愛することも、また、だれかからもホントウに愛されることもできない。この規定は、厳粛なものだ。だが、私の反抗は、ここからはじまるのである。愛は、愛をしてしか証言させないことだ。どんなことがあっても、死を、愛の証言とさせないことだ。それが私の反抗である」(『愛について』)と書くのである。

『永遠の0』でも「生きろ」という言葉が繰り返し語られる。けれど又、この物語の中では「何のために戦ったのか、誰のために死んだのか」ということが繰り返し問われる。
人は何かのために、誰かのためにでなければ死ぬことは出来ないのだと思わされる。

以下、抜粋。

「綺麗事のように聞こえるかも知れませんが、自分が死ぬことで家族を守れるなら、喜んで命を捧げようと思いました」
「死ぬことでご家族が守れると思いましたか」
 岡部は黙って姉を見つめた。
「特攻隊の死は犬死にとおっしゃりたいのですか」
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「そんなにー」
「これが戦争なのです。アメリカの兵士たちが祖国の勝利を信じて命を懸けて戦ったように、私たちも命を懸けていたのです。たとえ自分が死んでも、祖国と家族を守れるなら、その死は無意味ではない。そう信じて戦ったのです。・・。そう思うことが出来なければ、どうして特攻で死ねますか。自分の死は無意味で無価値と思って死んでいけますか。死んでいった友に、お前の死は犬死にだったとは死んでも言えません」
 姉は黙っていた。
 部屋全体に重苦しい空気が漂った。沈黙を破ったのは岡部だった。
「しかし、それでも私は特攻を否定します。断固否定します」
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 戦後、特攻隊員は様々な毀誉褒貶にあった。国のために命を投げうった真の英雄と称えられた時もあったし、歪んだ狂信的な愛国者とののしられた時もあった。
 しかしどちらも真実をついていない。彼らは英雄でもなければ狂人でもない。逃れることの出来ない死をいかに受け入れ、その短い生を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ。私はその姿を間近に見てきた。彼らは家族のことを考え、国のことを思った。・・。
 彼らは二・二六事件の狂信的な青年将校たちではない。散華のヒロイズムに酔った男たちはいなかった。中には、死を受け入れるために、そうした心境に自らを置いた者もいるかも知れない。しかし仮にそうした者がいたとして、誰がそれを非難出来るのか。受け入れがたい死を前にして、自らを納得させるために、また恐怖から逃れるために、そうした死のヒロイズムに身をさらしたからといって、どうだというのだ。
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 しかし私たちの訓練は零戦で急降下することだけだった。これは特攻の訓練だ。爆弾を抱いて敵艦目がけて突っ込む、死ぬための訓練だった。それでも私たちは真剣に訓練に取り組んだ。
ーなぜ? 人間とはそういうものだろう。
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「皆さんは日本に必要な人たちです。この戦争が終われば、必ず必要になる人たちです」
 宮部教官ははっきりと言った。
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 私たちはみな心の中で悔し涙を流した。これが戦争か、これが軍隊かと思った。人間の命はここでは飛行機以下なのだと思った。
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 俺は飛行機乗りになった時から、「武士」として生きると決めた。
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 だから俺にとってあの戦争は自分のための戦争だった。誰のために戦うのでもない。ただ自分のために戦っていたのだ。
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 ・・。この人を失えば、もう日本は終わりだ。私が死ぬことで、この人を助けられないのかー。
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 私は後ろを振り返った。鹿児島湾がきらきらと光るのが見える。そしてその後ろに九州の山々が朝日を浴びつつ、緑の色に塗られていく。美しい、と思わず呟いた。
 この美しい国を守るためなら、死んでも惜しくはないと思った。
 今、自分は真に立派な一人の男と共に死ぬのだ。

百田尚樹=作『永遠の0』(講談社文庫)より引用。)

感動的な言葉が随所に鏤められているこの物語の中で、しかしそういう個所とは違って、一個所だけ、その言葉を読んだ途端嗚咽が吹き上がってきたところがあった。そしてその瞬間一人の人物がはっきりと見えた。ふと、私は、ユダヤの神のために死ぬことは出来ないと思った。日本の神のためにも死ぬことは出来ないだろうと思う。どこかの一国の神のために死ぬことなど出来はしないと思ったのだった。

もしかしたら『永遠の0』は凄い物語なのかもしれない。読み手にこんなところまで考えさせるのだから。そしてもしかしたら百田尚樹は凄い語り部であるかもしれない、と思った。

論理的な言語にして語り得ないものを、人は物語にして語ろうとするのかもしれない。

これで、もう、『永遠の0』については終わりにしよう。

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http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20130815/p1
http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20130816/p1