サンティアゴへの道を歩かれた若い友人から頂いた『星の巡礼』を読み終えた。
私にしては珍しく訳者のあとがきを一番最後に読んだのだが、そこに書かれていた作者パウロ・コエーリョ氏の経歴に驚いた。コエーリョ氏は私と10歳ほどしか変わらない年齢のようだが、1974年に「音楽活動が反政府運動にかかわっているという嫌疑をかけられて逮捕され、生死をさまようほどの拷問を受けて」いるのである。生まれた国が違うというだけで人生がこのように大きく変わるのだと改めて強く思わされた。
この逮捕、拷問の体験が大きく影響したためか、その後、「霊的な探求に興味を持つようになり」、1981年にRAM教団(スペインキリスト教神秘主義の秘密結社)に出合い、学び始める。この『星の巡礼』は、そのRAM教団の最終試験に落第したコエーリョ氏が敗者復活戦としてサンチャゴ・デ・コンポステーラへの道を歩いた体験を記したもののようである。
若い友人から「スピリチュアル系の本」であるとお聞きして読み始めたのだが、読み進むうちに「これは聖書的な信仰を土台にしっかりと持っている本だ」と思わされたのだった。訳者の山川絋矢・亜希子氏もあとがきに次のように書かれている。
オカルトや魔法に夢中だった作者が、真のマスターへの道は、誰もがたどることのできる道であり、自分自身の、そしてすべての人々が持つ内なる力を発見することであるということに気づき、その力を自分の内に発見するまでの物語だと言えましょう。オカルトや超能力が大切なのではなく、自分の心の歌に耳を傾け、それを聞きわけて、そのままに行動するようになれることこそが、私たちの霊的な成長にほかならないということを、作者は伝えています。(パウロ・コエーリョ=作『星の巡礼』(角川文庫)「訳者あとがき」より引用)
この本は、聖書的な信仰を持ちながらその信仰が停滞してしまっている人が読めば、死んで形骸化した信仰に新しい命の息を吹き入れられるのではないかと思われる。そして、若い人にも、愛して生きる人生へと踏み出すために有益だと思われる。
昔から私は本には傍線を引きながら読む人間だったのだが、そんなことで、この本にも多くの線が引かれたのだった。けれどここでは、一番初めに読んだ第七章「結婚」の中で語られた、主人公をサンチャゴへと案内する導師の言葉から、私が考えさせられたことを中心に書いてみたいと思う。
続きはpart2へ。
● 信州の秩父事件 自由民権運動のひとつ