風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」第24回

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」第24回

第24話 アストルガ 〜チョコレートとガウディ〜

 ここ数回は特別編を記載しており、最後にこのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼のエッセイを書いたのは夏であったのに、もう冬になってしまった。…。このイルミネーションを見ると、年の瀬が迫っていることを実感する。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路をこの季節に巡礼する人はほぼいない。冬のピレネー越えなどもはや雪山登山であり、素人には不可能である。しかし、冬の巡礼路というのもまた違った世界が存在していることだろう。もし、この時期にサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路に行くようなことがあるとすれば、私は迷わずレンタカーを選ぶだろう。

 レオンは大きな町だが、市街地には巡礼路を示すマークがところどころにあるため、道を見失う心配はあまりない。橋を渡り、市街地を出ると、あとは幹線道路沿いに進んで行くことになる。

(中略)

 アストルガは古代ローマ時代より交通の要所として栄えた町であり、当時の遺跡や城壁も残っている。当時、北スペインで豊富に産出した銀などの鉱物資源は、大西洋に面するヒホンからこのアストルガを通りセビージャに至る「銀の道」を通り、グアダルキビル川によって地中海に出てローマへと運ばれた。その繁栄はスペイン最初の司教座の一つがこのアストルガにおかれるほどであったが、その後は一時衰退する。しかし、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の発展に伴って再興する。
 現在は人口1万2千人ほどの都市であるが、至る所にチョコラテリア(チョコレート店)があり、「チョコレート博物館」まであるのは、この「銀の道」を通ってカカオが持ち込まれていたからである。
 現在のアストルガのカテドラルは1471年に建造が開始されたものの、完成したのは18世紀である。そのため、…。ちなみに右側の塔の色調が異なっているのは、1755年のリスボン地震によって倒壊し再建されたためである。
 現在、このアストルガの名前を世界的に有名にしているのは銀やチョコレートでも、また壮大なカテドラルでもなく、その傍らに建つアントニオ・ガウディによる司教館だろう。これは火災によって全焼した司教館を再建するに当たって、当時の司教グラウが同郷(カタルーニャのレウス)のガウディに依頼したことによるもので、1989年に建設が始まっている。
(中略)
 しかし、こうしたガウディの意図は必ずしも理解されたとは言えず、1893年のグラウ司教の死去によって建設は中断。次の司教はこの奇抜なデザインを嫌って(…)別の建物に住み、資金も途絶えたこともあってガウディは建設をストップし、評議会との意見の相違で辞任した。その後…。(略)
 このままではなんとも中途半端なテーマパークのパビリオンのようである。今からでも遅くはないので、このガウディによる当初案と当時の技術に基づいて復元してみても面白いのではないだろうか。(抜粋引用)

(写真等、リンク先で直接ご覧ください。ミルトス)