風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

紫陽花の繁みの中に・・。

万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、
わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
すずめがすみかを得、
つばめがそのひなをいれる巣を得るように、
万軍の主、わが王、わが神よ、
あなたの祭壇のかたわらに
わがすまいを得させてください。(詩篇84:1〜3)

 

 

紫陽花の繁みの中に

2匹、隠れている。

 

 

しかし、夜中にはうるさく鳴かないでくれ給え!

 

 

 

桜の枝に一粒だけ残っている



 

 

 

 

 

朝起きると、娘の頬骨に誰かに殴られたような痕が・・(アトピーとの闘い最終章)

朝起きると、娘の頬骨の辺りが殴られた痕のように赤黒く内出血している。「皮下出血」という言葉が思い浮かんで、最近何かで目にしたと思い、ネット検索をしていて思い出した。

「良かれと思って成した罪」ということで、ユースの会で話すために読んでいた本の中で目にしたのだった。

 コペンハーゲン大学のダムは1929年、ニワトリをある特定の餌で飼育すると、皮下に出血を起こしやすいことに気づいた。この症状は壊血病やくる病に有効な薬剤では予防できなかった。やがて、この症状に有効な因子(つまり血液凝固因子)は脂溶性であることはわかったが、既知の脂溶性ビタミンであるビタミンA、ビタミンD、ビタミンEとは異なるものであった。この物質はドイツ語で「凝固」を意味する言葉「Koagulation」の頭文字をとって「ビタミンK」と名づけられた。

(略)ただし成人ではビタミンKは腸内細菌が合成するので、外部から摂取する必要はない。(杉晴夫=著『栄養学を拓いた巨人たち』p150)

 

そう言えば、娘が生まれた時、ビタミンKが足りているかどうかの血液検査があった。その時は合格だった(笑)。

「成人ではビタミンKは腸内細菌が合成するので」と記されているのだが、ステロイドの内服をしていたり、塗り薬を塗っていたりしたので、腸内細菌は整っていないだろう。

そして、ようやく表皮が出来てきたところだから、薄くて皮下出血が目立つということだろう。

 

 

昨夜は、こんな鯖の生姜煮で、ご飯が少なかったから、ご飯の足しとスープ代わりにインスタントラーメンにした。

手抜き献立だなと思ったが、偶にはいいかと開き直っていた。その結果がきちんと出たな、という感じである。

しかし、アロマオイルを塗っているせいか、皮膚がだいぶ修復されてきているので、それほど酷いことにはなっていない。

 

meromeropy77.hatenablog.com

 

 

ビタミンE(http://ipidiw.co.jp/nutrition/vitamine.html

過剰摂取・副作用

・血液が固まりにくくなり、出血の危険性が高まる

 

ビタミンK(http://ipidiw.co.jp/nutrition/vitamink.html

不足・欠乏
原因

・ビタミンEがビタミンKの働きを阻害する

 

このことはだいぶ前から知っていて気をつけていたのだが、昨日一日の食事内容でVKがVEに対して弱かったと言える。

 

 

 

 

ビタミンEについては、『栄養学を拓いた巨人たち』でもこう言われている。

 ビタミンEはその抗酸化作用により、生体組織の老化を防ぎ寿命を延ばす物質として、各国で錠剤が盛んに売り出されている。その効果を強調する出版物も多い。しかし最近では、ビタミンEの過剰摂取は身体に有害であるとの報道がなされている。(杉晴夫=著『栄養学を拓いた巨人たち』p150)

 

 

 

 

アジサイの青とコスモスの黄色が・・。

 

 

 

 

 

 

 

ペンテコステ礼拝説教と夫への手紙

昨日6月5日のペンテコステ礼拝は、引退教師によって礼拝が執り行われ、聖餐にも与ることができ、感謝でした!

 

以下に説教の最後の部分を抜粋掲載させて頂きます。

「小鳥は揺れている枝には止まれません」と言った説教者がいますが、この世のことのみに揺り動かされず、この世のことで心を一杯にせず、自分をその僕として主なる聖霊のお働きを待ちつつ、祈り続けることです。私たちの祈りについても「わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と言われています。皆が心を合わせて祈り続けていると、しかるべき時に必ず聖霊は福音の恵みを、また福音を伝える新しい力を与えてくださるのであります。

 

 

以下は、夫への手紙。

ところで、あなたがお世話になっている言語聴覚士の先生のお名前は、小鳥のさえずりが聞こえて来るような素敵なお名前です。
どういうお名前か、教えてもらってくださいね。

 

 

 

さっきまで鳥いた枝に春の風

 

 







 

 

 

 

夏目漱石小品『文鳥』

引っ越しの荷物の中から夏目漱石の短編集を見つけ出して文鳥を読んだ。

ここには、自分への怒りが描かれている、と思った。

弄んで死なせてしまった自分への怒りが。

 

 十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片附けた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいという。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですという返事であった。

 

(略)

 

 何しろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、早速万事を三重吉に依頼する事にした。(夏目漱石文鳥』)

 

 昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えている所を、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらしたのは縁談の極った二、三日後である。(『文鳥』)

 

 

 水は丁度易え立てであった。文鳥は軽い足を水入の真中に…。(略)それでも文鳥は欣然として行水を使っている。

 自分は急に易籠を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあと掛けてやった。如露の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。

 昔紫の帯上でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅くなった頬を上げて、繊い手を額の前に翳しながら、不思議そうに瞬をした。この女とこの文鳥とは恐らく同じ心持だろう。(『文鳥』)

 

自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見詰めていた。それから、そっと座布団の上に卸した。そうして、烈しく手を鳴らした。

 十六になる小女が、はいといって敷居際に手をつかえる。(略)自分は、餌を遣らないから、とうとう死んでしまったといいながら、下女の顔をにらめつけた。下女はそれでも黙っている。

 自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書をかいた。「家人が餌を遣らないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌を遣る義務さえ尽さないのは残酷の至りだ」という文句であった。

 

(略)

 

 午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷だとも一向書いてなかった。(『文鳥』)

 

漱石は自分自身を赦せなかった人なのだ、と思った。

 

三重吉への端書に「たのみもせぬものを籠へ入れて」と書いている。文鳥は籠に入れられて愛玩されることなど願ってはいなかっただろう。

これは三重吉への怒りでもある。しかし、「鳥を御飼いなさい」と言った三重吉に、「飼ってもいい」と答えたのは漱石なのだった。

それは女を嫁がせた(籠の中に入れた)家族への怒りでもあるだろう。しかし、それを止めることが出来なかった漱石自身への怒りでもあるのだ。

 

三重吉からの返事には文鳥は可愛想な事を致しました」としか書かれていなかった、とある。

「罪」というものに思い致さない三重吉の鈍感さに、漱石は驚きながらも慰めを得ていたのではないか、とも思える。

 

しかし、その後の鈴木三重吉の生き方を見ていて、漱石はどう思っただろうか。

漱石は、実際には犯さなかった自分の罪を、計らずもこの時、三重吉の中にすでに見ていたことに驚かなかっただろうか?

 

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夏目漱石という人は、世の中を眺めながら、「罪」を眺めながら、赦しの言葉を聞きたがっていた人なのではないかと、思う。

 

 

こどもさんびか54番

3 ゴルゴタの十字架の上で罪人を招かれた

  救いの御言葉をわたしにも聞かせてください。

 

 

 

 

myrtus77.hatenablog.comそしてこの神の創造の業は命の創造であり、生きる秩序の創造です。

(略)

神は命を創り、そしてその命を救うために罪を裁き滅ぼす方です。その神がおられる、救いの御業をなしておられる、この神の許にこそ命と未来がある、これを証しするためにわたしたちは召されているのです。

神は、わたしを信じて生きて欲しい、わたしと共に生きて欲しい、あなたがそうすることはわたしの救いの御業にとって大切なんだと、語りかけておられるのです。

 

 

 

 赦しの言葉を聞きたがっていたのは、この私だ。

そうして私は、夫の説教を聞きつづけてきた。

 

 

 

 

 

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水曜日、場所を変えて飾ってみた。

水曜日、

いつもと

花の

置き場所を

変えて、

飾ってみた。





こちらは、水曜日の

アジサイとカラー。

水をかえようとして、

ゼラニウムの花びらを散らしてしまったので、

柊の実を



足して・・。



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母の病室にはいつも花を持っていっていたが・・。