風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

キリストに十字架への道を指し示した人達

ある時の牧師不在の祈り会での担当長老のお話が興味深かった。

マタイによる福音書16章13節〜19節。
エスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。・・。シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

この時長老は、神の子でありながら人となって来られたキリストはこの世でのご自分の任務を知っておられたが、十字架へと歩む道の要所要所で、自分が進むべき道を人によって示されたのだと思うと話された。「注解書をいくつか読んでもそのように書いてあるものが見当たらなかったので、偉い学者先生からはおかしいと言われるかも知れませんが」、と前置きをされながら。

「マタイのこの箇所にも記されているように天の父の啓示によってか、あるいは聖霊の働きによってか、キリストに十字架への道を示したと思われる人物が3人いる」と言われた。一人はここに記されているシモン・ペトロ。そして最初の一人が、マタイ(11:11)ルカ(7:28)による福音書でイエスから「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はない」と言われた洗礼者ヨハネ。そして、「最後の一人は、イエスがいよいよ十字架へと歩まれる時に」と、長老がそこまで言った時、私は「ユダだ!」と心の中で思った。けれど、3人目はイエスに香油を注いだ女だった。

この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。(マタイによる福音書26:12、13)
この3人に共通しているのは、十字架への道を示した後、イエスから「天の国の鍵を授けられる」等の光栄に浴しているところだという。あぁ、しかし、私はユダのことが気にかかる。キリストが十字架へと赴くためにもっとも辛い任務に就いたのはこのユダではなかったか。悪魔の導きだったとは言え・・・。

そう言えば、葛原妙子の短歌にこういうのがあった。

「ラビ安かれ」裏切のきはに囁きしかのユダのこゑ甘くきこゆる『原牛』
そうか、ユダはキリストのことを「ラビ(先生)」と言っているんだ。イエスに向かって、「私の救い主、生ける神の子」と、信仰を告白してはいないんだ。

ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。(マルコによる福音書14:45)
ユダの声がどんなに甘く聞こえても、私はやはりキリストの光栄に浴する道を歩んでいきたいと思う。ごめんよ!ユダ。