風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子10

葛原妙子の第一歌集『橙黄』は1950年、妙子43歳の時に出されている。この中に、次の短歌が入っている。

人間をしんじつ孤りとおもへどもその夜の觸れし掌(たなうら)よ熱かりき『橙黄』
1974年に『葛原妙子歌集』三一書房から刊行された時、『橙黄』は妙子自身の手で大幅に改変されたということで、上記の歌は載っていない。けれど、この中に新たに次のような歌が加えられている。

幸福とふ言葉覺えしをさな子は抱(いだ)けるときにいくたびも云ふ 異本『橙黄』

又、『縄文』は第二歌集となるはずだったものが出されず、上記『葛原妙子歌集』(三一書房の中に収められているもののようだが、この中には次のような歌がある。

音あらぬ炎天の下死ぬるほど赤兒を泣かすとなりびとあり『縄文』
乳幼児虐待事件が珍しくない時代に生きている私たちであるが、いつの時代にもこのようなことはあったのだと思わされる。この歌を作ったのは妙子が幾つ位の時であったのだろうか。たぶん、自分の子どもはもう乳幼児という時期を終えていたのではないかと思う。「あんなに泣かせて大丈夫なのだろうか?死なせてしまうのではないだろうか?」というような、ちょっと年配の先輩母の心の声が聞こえてきそうな気がする。

けれど、第三歌集『飛行』の中では、その視線を自分の内側へ向けている歌が見受けられる。

燐寸の焰白日光に色なけれ腕もげしヴィナスのしづかなる像『飛行』
明るみを忌むかほなれば向日葵の殘れる花冠の陰に坐すべし
暗緑に翳れるわれにちかづきつ抱擁(だきしめ)を乞ふ末なる少女(をとめ)
やはらかに子を押しもどすわが顏のわづかに攣(つ)るるをみのがし呉れよ

先ず、腕がもげて抱きしめることのできないヴィナスの像の歌が暗示的に置かれ、四首がこのように連なっている。三首目、だきしめを乞う末の娘を前に妙子は物思いにふけっているようだ。我が子を抱きしめるより、戸を閉ざして自分の世界の中に居たい母親。ここでは、虐待というようなものは全く描かれていないが、押しもどされた(拒絶された)子の傷みは死ぬるほど泣かされている赤児のものと左程かわりはない。それ故に妙子は、「母の愛の無さ、否、それ以上のものに気づかないでおくれ」と心の中で哀願しているのだ。

この四首を読んで、もう一度「幸福とふ」の歌を読み返す時、「人が幼い頃から切望して止まないもの」を、この歌の中に詠んでいたことに気づいて、胸を衝かれる。
妙子という人は、自分の中の愛の無さ、自分の中にある罪に長く苦しんできた人なのではないか、と思う。

同じく『飛行』の中には次のような歌もある。

わがうちの暗きになにかは顯はるるたとへば黒き森のごときもの『飛行』
はるかなる黒き森はも身ふるはむわれのみぞその位置知れる森

二首目は、『飛行』の中の「未知の森」の最後に置かれている歌だが、この中には旧約聖書に出てくるソドムとゴモラを詠った歌も入っている。

硫黄と火降りたる太古の街ありきソドムといへりゴモラといへり『飛行』
ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。(創世記13:10)
ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。(創世記13:13)
主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、・・(創世記19:24)

1960年に出された第五歌集『原牛』には次のような歌もある。

人に示すあたはざりにしわが胸のおくどに青き草かれてをり『原牛』

註:異本というのは、もともとの歌集『橙黄』のものと区別するために、『葛原妙子全歌集』(砂子屋書房)の中で森岡貞香が三一書房版の『橙黄』につけたもの

人輭=人間、暗䖝=暗緑、鄢き森=黒き森、逭き草=青き草