風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子11

(さば)かるるものの質ありさびしきとき美しきものを凝視する瞳(め)に『飛行』
葛原妙子のこの短歌も第三歌集『飛行』の中にあるものだが、読むものに何とも悲痛な感覚を生じさせる歌だ。この歌から私が、振り向いて塩の柱になってしまった旧約聖書に出てくるロトの妻を連想するから、尚更そう感じるのかも知れないが・・。

硫黄と火降りたる太古の街ありきソドムといへりゴモラといへり『飛行』
彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。(創世記19:17)
主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。(創世記19:24〜26)

妙子の歌を知って、ロトの妻の塩の柱にされるシーンを想像すると、今までのイメージと違ったものが浮かび上がってくる。これまで、「ロトの妻は財産が惜しくなって戻ろうとした」というように捉えられてきたように思うが、そうではないような気がする。ただ振り返って神の裁きを見ようとしたのではないか。町がめらめらと燃え上がる様子を、妙子のこの歌の「美しきもの」として捉えると、途端にこの歌が凄みを帯びて迫ってくる。
ただ、これは私の勝手な想像にすぎない。「振り向いた」という言葉が聖書の原文でどう記されているか私は知らないから。