2023年2月19日(日)復活節前第7主日礼拝説教 ○○○○長老代読
今年の初め頃、1、2ページに掲載した説教の最後を抜粋して、夫に、「泣けるような良い説教でしょう」と手紙を書いた。
その抜粋した部分を『聴く』に載せようと、手紙を読み返していると、○○長老の声で頭の中に響いて来た。
手紙の日付から週報の綴りを遡って、代読して下さった長老がどなただったかを確認すると、やはり○○長老だった。
夫への手紙
主のもとに来なさい。主は、人々からは捨てられましたが、神によって選ばれた、尊い、生ける石です。(ペトロの手紙一2:4)
この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者にとっては、「家を建てる者の捨てた石 これが隅の親石となった」のであり、また、「つまずきの石 妨げの岩」なのです。(ペトロの手紙一2:7、8)
しかしこのような説教も信じない者には、泣けるような説教でもない、どうでも良いものになるのだろう。
出来上がった『聴く』を面会で持って行って見せると、よく見ていた。
3ページ目のカットは子どもの聖書からあっちこっちの絵をつなぎ合わせて、山と燃える炎を写したんだけど、そう見える?と聞くと、頷いてくれた。
しかし、ページ毎のカットは吟味して載せても、実際に出来ると後ろの絵が透けて写って、思ったようにはなかなか出来上がらない。