「キリストに結ばれた私たち」
2022年2月13日(日) 復活節前第9主日
聖書箇所:ローマの信徒へ手紙 16章1節〜16節
(略)
ルフォスの父の名は、キレネ人シモンといいます。キレネは、口語訳ではクレネと訳され、北アフリカの町の名前です。イエスさまは、十字架につけられる時、ご自分がつけられる十字架をご自分でかつがされました。それをかついで群衆が見つめている道をゴルゴタの丘まで歩かれたのです。そこへたまたまシモンが通りかかりました。どういうわけかローマの兵士が、その十字架をシモンに担がせたのです。まさに災難です。まさかこんな目に合うとは、思ってもみないことでした。もちろん、兵士に逆らうことはできません。やむをえず十字架を担ぎました。しかし、考えてみれば、誰も経験したことのないことをさせられたのです。聖書には書いてありませんが、イエスさまから十字架を受取る時、イエスさまとの対面があったのではないでしょうか。目が合ってわずかな会話がなされたのではないでしょうか。勝手な想像です。シモンは初め、兵士の突然の命令に、恐怖と怒りをもってイエスさまを見ていました。しかしイエスさまはうしろを振り返りながら歩かれ、その時シモンに注がれた優しいまなざしに、シモンの心が次第に変えられていったのではないかと思われます。ゴルゴタの丘でイエスさまは十字架にかけられました。イエスさまは苦しみと痛みの中で、「父よ、彼らをお許し下さい」と祈られました。十字架の近くにいたシモンは、このことばを聞いたかも知れません。今、イエスさまが十字架上で発せられた赦しを願う祈りと、十字架を背負わされて歩いた時に、振り返って注いでくださった恨みのない愛のまなざしを忘れることはできなかったのです。シモンはこのことを何度も何度も、息子のルフォスや妻に伝え、そして家族そろってキリスト者になったと思います。
「神と共に生きる生きた信仰」
聖書箇所:ルカによる福音書 23章26節~31節
(略)
先週の○○先生によるローマの信徒への手紙の説教でもシモンについて述べられましたが、ルカ福音書でシモンという名前まで出ているのは、彼が後にキリスト者となり、教会でよく知られるようになった可能性が考えられます。マルコによる福音書の同じ記事では、アレクサンドロとルフォスというシモンの二人の息子の名前も記されています。何が用いられ、キリストと出会い、信仰に導かれるかは、人の思いを超える神の御業です。
(略)
するとイエスは、女性たちの方を振り向かれます。ペテロが三度知らないと言った後で振り向かれたように、イエスは、振り向かれます。そして語りかけられます。
28節、29節「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。」
(略)
イエス キリストは、わたしたちが新しく生きることを願って、振り返ってくださいます。語りかけてくださいます。
神と共に生きることを祈り求めましょう。悔い改めて、神に立ち帰ることを求めましょう。聖霊なる神が、わたしたちを新しくしてくださり、信仰から信仰へと生かしてくださることを求めていきましょう。神は、わたしたちの救いを、世界の救いを、願っていてくださいます。
https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2022/02/20/200804
昨日の説教では、その前の週の引退教師の説教で語られたキレネ人シモンについて言及されていたが、それだけでなく、キリストが振り返ったという点でも共通点があったように思った。
この日代読してくださった長老は説教後の祈りを残されなかったが、とても良い祈りであった。また、この日の説教前の司式の長老の祈りも、心に響いた。