希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(ローマの信徒への手紙15:13)
昨日の神学生さんの祝福はこのローマの信徒への手紙によってなされた。
力強い祝福に、改めて御言葉に感動した。それで聖書箇所を教えて頂いた。
夫は若い頃から色々と拘りを持った人で、その中の一つに、祝祷(今は祝福と言うらしい)によって送り出されない礼拝なんて、礼拝じゃない、というのがあった。
神学生や教師試補や長老は牧師の代わりに説教をしても、礼拝の最後の祝福はしないで黙祷で終わるというのが通例?だったのか、私は詳しいことは知らないが、夫は神学校を出たばかりの教師試補の時から、祝祷(祝福)のない礼拝なんて礼拝じゃないと言って、祝祷をしていたのだった。
そういうことをどこででも話してきたので、倒れた後も、長老達が説教代読で守る礼拝においても祝祷をして下さっている。
なので、実習に来られた神学生にも礼拝の最後に祝福をして下さるようにと頼んで下さったものと思われる。