風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「もし神を見たいと望むなら、あなたのまわりを見なさい」(神学生のお説教から抜粋)

今日から3週続けて神学生のお説教で礼拝が守られる。

この方は、小学生から高校生まで幅広い年齢の子どもが集う施設で子ども達に語るお仕事をなさっていた方なので、間の取り方や声の出し方など、とても整えられていると感じた。

聞く側にとって、心地よく聞けるかどうかということは伝えたい内容を伝えるためにも基本的に大事なことだと思う。

説教の内容も良かったのだが、実習中なので、もう少し大事に取っておきたいが、さわりだけを少し掲載させて頂こうと思う。

 

「神の御言葉を聞く」マルコによる福音書4章1−9節

(略)

 ここで主イエスはたとえでいろいろと教えられました。たとえを用いられたのは、神の国で起こることをこの世の例をあげて解き明かすこと、そうして人々がよく考え、よりよく理解できるようになるためです。主イエスは、人々の思いを、神の働きに導くために、そのとき地上に起こっている事柄、すべての人々に見えているものからはじめられました。主イエスにとってこの世は、神が生きて働いておられるところと信じていたからです。「もし神を見たいと望むなら、あなたのまわりを見なさい」と言われているかのようです。生活のありふれた事の中に、もし人がそれらから神の働きをただしく受けとめるなら御心を知ることができるということでしょう。

 植物の成長もその一つで、このとき、その様子を見るように教えられたのです。

 

周りを見、世の中を見て、「神がいない」と嘆きがちな者なのだが・・。

「生活のありふれた事の中に、もし人がそれらから神の働きをただしく受けとめるなら御心を知ることができるということでしょう」

 

 

折しも今日は、礼拝後、長老、執事によって庭の木を剪定して頂いた。

剪定して下さった長老に、「秋に実がなると木が弱るので、剪定して頂けて良かったです」とお礼を言ってから、キリストのことを思った。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書15:5)

私たちが豊かに実を結ぶために、キリストは十字架につかれたのだ。